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コンサルの現場での仕事が始まってから2ヶ月、新卒の僕が思うこと。「無責任」と反骨精神(?)


なんで文章を書きたいんだろね?

定期的にやってくる、この文章を書きたい瞬間。なんだろう、ポケモンのゲームをセーブして寝たい、みたいな感覚の延長線と言っても語弊はないと思う。感情なり思いが溢れそうになると、書きたくなるのかな?

普段から人とは喋ってる方にしても、今自分が思っていること、感じていることを全ては話さない。話には流れってものがあるし、せっかく友達とか先輩とか上司と一緒にいるんだったら、自分の口から出る言葉をずっと聞いてるよりは、その空間だからこその話が聞きたい。だから、人の話に自分の経験に、毎日溜まっていく一方で消化不良になるのかもしれない。

そんなわけで、今はシャワーをして、PCに向かっている。さっきまでnoteを読んでいたんだけど、同い年の人の仕事での葛藤とかやりがいについて書いてある記事を読むと、感化された部分もある。ということで、いつも通り、構成もなにも考えないで脳直で書いていく。

最近何をしているか?〜無責任〜

まず一番に何が思い浮かぶだろう?と思って今こうしてキーボードを叩いていると、「無責任」という言葉が出てきた。

ここ数日間は特に無責任だなぁと感じる事が多い。今自分が入っているのは、海外政府を巻き込んだインフラ関係の国家規模の案件。そこで支援先の企業と、他国政府当局のプロジェクト契約締結にあたって、25ほどの書類の提出が求められている。契約開始後に必要となる書類との関連性も考えながらとなるので、頭がパンクしそうになる…。外国政府当局から届いた要求書を読み解いて、これらの要求に対して「どのように打ち返していくか」をチームメンバーと議論しながら考え、文書を最終化していく。自分がその原案を書いている。上司のレビューが挟まるとはいえ、これが国家と国家の次元での契約の礎となる。

今目の前の作業が、結局どこへ繋がっているのかと思えば、外国国家、そしてこのプロジェクトを通して何年か後に完成するそのインフラを利用する人々。その意味では、非常に多くの人に影響する、重大な業務を自分は今やっている。

でも、先程言った「無責任」という言葉がまさにぴったりで。文書の最終案を書いたりイジったりしている訳なんだけども、これの適任は絶対俺じゃない。そして、なんならすごく経験値のある40代なかばの上司も「適任」ではない。でも、業界は違えど、国内大企業、外資複数社を経験している上司は、公式な書類なるものが通常どんなもので、どうやって考えられているのかを知っている。畑が違うにしても、今までの経験があるから、大体わかるらしい。現在、自分はその上司とほぼペアで動いている。

「自分なりにこう考えて、この内部規程を参考にして、こう答えれば要求事項の内容を満たせていると考えたが、どうでしょうか?」こんな質問を上司相手に一日に何回やっているだろうか。

場合によっては「そうだな、それで良いと思う」と言ってもらえることもあるけど、「いや、そこで重要なのはそこではなくて、この部分が向こうの関心事だな」と言われることもある。

わからないなりに「こうなんじゃないのか?」と頭を捻りながら、頑張って書いてみている。けれど、自分がスカしているのか、芯を食っているのかは、上司にレビューしてもらわないとわからない。

一つの大きな書類を同じ方針で全部書いてみて、初めから全部見当違いな方向性で進めてしまっていたら、時間が無駄すぎて悲しくなる。だから、一つお試しで書いてみて、すぐに上司に確認していただく。

今の自分にできるベストなやり方だと思う。でもこれって、上司が最初からやれば、一発で全部芯を食った書き方ができる。でも、上司も身は一つ、同じ8時間の枠で働いている訳で。周りと上手く協力しないとこんなに大量のドキュメントを捌くことは出来ない。そして、新人の自分を早く戦力にできるように教育してくれているのもわかる。教育することは上司の責任だから、当たり前といえば当たり前なんだけど、非常にありがたい。その人の今までの経験の集大成をいきなり伝授してもらっている。早くもっと大きな力になりたい。

なんだけど、最近のこの無力感と言ったらもう。新卒の分際で、ビジネスのことはまだ何もわかっていない。まして、こんな専門性の高いドキュメントの書き方となると、検討もつかない。でも、これが自分の仕事なんだから、やるしかない。

お客様からしたら、新卒だろうが経験値がある年次が上の人間だろうが関係ない。少なくとも、自分がコンサルを雇っていたら、言い訳なんかせずにやってくれよ?と思う。慈悲の心もゼロじゃないだろうけど、そんなこと言ったら仕事じゃない。

会社でも「プロ意識持て」みたいなことはよく言われる。持たないとダメだし、持っていないと論外なのもわかるけど、まだちょっと勘弁してくれよ、とも思う。

だって、頼れる上司のレビューとか意見がないと、自分だけでは「ここはこう解釈して、核となるのはこの部分だから、これに対してピンポイントで答えて上げるためには、こういう内部規程を引っ張ってくれば良い。そして、内部規程の中でも今回あまり関係ない部分はこう削ぎ落として、これでいく。」こんな判断はとてもじゃないけど出来ない。要するに、上司がいないと何も出来ないのだ。

自分はこれが良いと思って、こうやってみたけれど、よくみたら欠陥まみれで、相手側の国家当局から後々質問攻めにされるなんてことも考えられる。自分には、まだ責任ある決断を出来る力も、経験値もない。当たり前なんだけど、すごくもどかしい。

自分が何も知らないから、文書内容を考えているとき、ずっと不安なのだ。自分が読み取った内容を自分の「常識」に当てはめて考えると、こうなるはず。はずなんだけど、それが全然見当違いだったりもする。上司からのアドバイスで、「しまった、全然考え方が違った。スカしまくってしまった」と感じたことも多かった。徐々にどんな風に要求事項に答えれば良いのかの大枠の方向性が感覚としてわかって来ているが、その感覚はそんなに信用には値しない。自分がこんなにも信じられないのは、惨めだ。

今回の案件はかなり特殊だと思う。「実行支援型のプロジェクトマネジメントのコンサル」ではあるんだけれど、やっていることは、現地から届いた要求事項の読解、翻訳、整理、情報抽出、そして顧客へのヒアリング内容を踏まえての文書作成。

一番きついのは、お客様はその分野の専門な訳で(当然だが)圧倒的に知識の差がある状態だということ。けど、澄ました顔して会話をしないといけない。辛うじて理解できているかいないかの内容を、対価を受け取りながら責任を持って仕上げていく。なんて無責任なんだ。意外とこの社会ってものは適当なんだなとよく感じる。

4月にこの会社に入社したときに、自分がこんなことをやることになるだなんて、全然考えもしなかった。案件によって、全然業務内容が違うのは知っていたけれど、ここまでの高い専門性が求められる、責任重大な仕事をやるなんて、想像すらしなかった。すごいよな。自分の話なんだけど、他人事みたいに書きたくなってしまう。

ここまで、筆の勢いに任せて書いてきたけれど、自分の中の強い思いは「自信が一切持てない作業を無責任だと思いながらもやるしかないという心の葛藤」「自分だけじゃなにも出来ない無力感」。

控えめに言ってイライラする。自分に対して。当たり前なんだけど、なんでこんなに出来ないんだ?と。イラついても現状は良くならない。もっと経験を積んで、考え方の方向性を徐々に上司・お客様と同期していって、その人達と同じ前提を持って動ければ…と思う。新卒だけど、その人達と同じような考え方を頭の中にインストールした上で文書作成の方針決定、そして最終文面化が出来たらどれだけ重宝されることだろう。

まあこんな高すぎる理想ばっかり言っていてもしょうがないし、上司だって、新卒の自分が独力でこんな文書たちを仕上げることはハナから期待していないだろう。むしろ、期待していたら怒りたい。なんて無責任なんだ、と。

でも、やるからには、ちゃんとやりたい。多くの人に読まれることになるし、解釈のズレが生まれないような、首尾一貫した、しっかりとしたドキュメントを整備すれば、色んな人にとっての「立ち返るべきわかりやすい拠り所」のようなドキュメントになるはずだ。今目下で発生している作業でいえば、ちまちまとお堅い「調達、設計、安全衛生、工程図…」とか色々書いてある資料を探して、何度も見比べて、頭を悩ませて…。とっても地味だ。お世辞にも楽しいとは言えない。

負の側面はあるが、全然悪くない

でも、この作業が持っている意義は、想像するだけでちょっと自分が小さく感じられるほどに大きいはずだ。だからこそ、もっと自信と誇りを持って手掛けたい。手掛けられるように頑張るけど、一人じゃどうしようもない。でも、上司がいないと何も出来ないにしても、チームメンバーを頼りながらでっかいことを一緒に前に転がしている。一年目から、こんなに責任重大な、「否定形業務」(ただ機械的にこなせばいいだけの仕事じゃない)を任せてもらえている。これってすごいことだと思う。ラッキーだ。今自分が出来ている経験って、なかなかレアで、今いる環境だって、非常に恵まれている。こう考えると、全然悪い話じゃない。

トータルでみれば、仕事の間ずっと

「自信が一切持てない作業を無責任だと思いながらもやるしかないという心の葛藤」、「自分だけじゃなにも出来ない無力感」

これらに苛まれている訳ではない。

ちょっと吐き出したい内容を書き殴ったから、心配になった友達・知り合いもいるかも知れないけれど、面白がりながら働けている。「クソ、スクリーン叩き割ってやりてえな」と思うことも多いけれど、悩みまくって構成を入れ替えた文書が、上司に「おっしゃる通りだな、その構成の方がスムーズで意味が通るから、その方針でいきましょう。助かります、ありがとう」とか言われるだけでも、苛立ちはほぼチャラになる。そして、お客様に「無理なこと言ってるのにほんとによくやってくれていて、助かる」と言われたときも、報われるなぁと思った。

自分で自分の仕事に自信と誇りと責任感を持って、一人でもどんどん決断をして物事を前に進めていけるようになったら、逆にめちゃめちゃおもしろいと思う。そして、もっと報われる瞬間を簡単にたくさん味わえるはずだ。

一年目は、そこにたどり着くまでの修行期間なのだろう。若い頃は、修行して強くなって、強くなった状態で長く戦った方が、キャリアは豊かだ。そんな話はよく聞く。それは一理ある。

でも、4月1日から一貫して、自分は残業はしないスタンスだ。ここは絶対に死守したい。なぜなら、仕事が全てじゃないから。仕事に重みを付けすぎて、なんだか満足しきれない日々を過ごす意味はないから。妥協は好きじゃない。楽しく生きるし、やるなら仕事もちゃんとやりたい。ここら辺は大事にしながら、これからもいい塩梅で、無駄な苦労はなるべく避けて、でも意味のある苦労は買って出て、仕事を頑張っていきたい。

さいごに

1時間半、ノンストップで文章を書いていた。5000文字弱。手が疲れた。でも、なんだかすっきりしたし、ここに吐き出して、いつでも見返せるようにしておくと、安心できる。

仕事のあとだと、スクリーンは全然見たくないんだけど、やりたいことがスクリーンを見ないと出来ないんだから、しょうがない。毎日パソコンと8時間フルでにらめっこは早いことやめたいな。6時間で同じだけの仕事が出来るようになりたい笑

平日の夜。業語は夕暮れ時のぷちサイクリング。そして晩御飯はチーズカレー麻婆丼。創業25年以上の、太郎さんというおじいちゃんのお店だ。美味しかった。そのあとは食材を買って、買い物用に背負っていたリュックに詰めて帰宅。早いことシャワーをして、21時くらいからnoteを書いていた。充実感のある一日になった。人と会うのが大好きな自分だけど、こういう一人の時間も大好きだ。楽しむのが上手な性格だから、人といても、一人でも、基本楽しい笑

まあ、最後に日記的なことを加えたことだし、書くことに関してはだいぶ満足した。そろそろパソコンは閉じようかな。

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
皆様の感想、コメントお待ちしております!

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