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大学生のレポート:紛争地における支援について〜正義論、幸福の最大化、自由の尊重〜

2020年7月24日 金曜日 22:14 より
またまた「大学生のレポートシリーズ」でございます!
今回は1500文字と短いです。

#正義
#多数決
#サバイバル
#タバコ
#同性婚
#政府介入
#開発政策論

紛争地における支援について

状況に応じた「最善の正義」に基づいた支援をすべきだ。支援をしない事にはなにも始まらない。だから、リスクはあっても支援するべきだ。

この質問に答えるにあたり、「自分なりの正義の在り方」を本の力を借りて再考した 。自分の信じている「正義」は脆く、欠陥まみれだと気付いた。状況によって「正義」は揺れ動く。

だが、「幸福の最大化」が一番の私の正義感の源泉だ。極端な例ではあるが、「得する人の数vs損をする人の数」で比べれば、合理的に論理的に答えが出せる。

小学校時代からよく使われてきた多数決の原理で、自分が少数派になり、納得いかない事もあった。だが、多くの人が、少数派になった自分の意見を採用することで「不条理さ」を感じるのであれば、自分の意見を貫く事は妥協できる。だが、少数派には残酷であるのは事実だ。幸福の最大化という大義名分の下、少数派が抑圧される場合もある。

サバイバルをしている4人全員は、食糧が尽きて飢え死にそうだとする。そこで、一番死にそうでぐったりしている人間を共食いして残り3人が生き残った。この場合、「幸福の最大化」だけを考えれば、仲間を食べることは残酷だとしても、全員共倒れするよりはずっといいということになる。共食いを絶対に許してはならないとは思わない。

他の例として、「タバコの税率を上げなければ、早死にする人が増えて医療費も年金も削減でき、死ぬ人1人当たりで10万円程度の政府財源の節約になる」という内容のタバコ企業による試算が挙げられる。

企業タバコがよく売れ、喫煙者も今まで通りの値段でタバコを入手でき、政府の経済状況は改善されるが、タバコで死ぬ人は増えると見込まれる。タバコで死ぬ人=「苦しむ人」とも言えるが、彼らの人生における選択だから放っておくべきだと感じる。

この感覚は、「自由の尊重」の価値観から生まれる。自由意志で選択していないのに「死ぬ羽目になる」と主張することには不条理さを覚える。例に挙げたサバイバルで食われる立場にはなりたくない。「自由の尊重」を重視すると、少数派の意見も尊重される。

同性婚は、「幸福の最大化(多数決)」の原理では認められない。だが、同性婚を支持する考え方を突き詰めれば「自由至上主義」になる。政府の介入を完全否定する立場だ。自分の人生を削って生み出したお金が、赤の他人に再分配される制度は許せないという理屈だ。だが、自分が裕福になり、使いきれない程の金を手にしたら、寄付や税で人を助けて「幸福の最大化」を追求するだろう。

笠井康弘にとっての「正義」は、「自由選択」も考慮するが、「幸福の最大化」を重視する。

不条理な死を減らすことは、幸福に繋がる。助かる人が増えるならばリスクがあっても支援する価値はある。支援者には人を救いたいという思いがあるはずだから、自由意志も尊重されている。考えている間にも死者が出てしまうかもしれないので、動くべきだ。

「フリマアプリで欲しかったものが売れた歯がゆさ」と「買ってみたがサイズが合わなくて結局手放す気持ち」を比べたとき、自分は後者の方がいい。悔いが残らないし、失敗から学習出来る。

以上の事から支援をすべきだと考えるが、あくまで「他人目線」でかつ、詳細な状況がわからない状態での論であるため、状況に応じて熟考する必要がある。


最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。