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大学生のレポート:「なぜドイツと日本の生産性には差があるのか」

2020年7月18日 土曜日 22:16


テーマ設定の理由と現状

この授業では、全体を通して経済的な視点からのヨーロッパ各国の紹介がされていた。日本とは驚くほど異なるヨーロッパ諸国の企業の在り方や政治問題の数々を再確認する機会になった。

その中でもドイツを取り扱っていた二回の授業の中で登場した「労働生産性」という言葉が非常に強く印象に残っている。就職が近づいてきて、より一層「社会人になること」について考え始めるようになった。「日本の社会で働くと、電車でよく見る、死んだ魚のような顔をしたサラリーマンのように自分ももしかしたらなってしまうのだろうか」ということについてだ。

日本の労働生産性が低くいから、残業しないと仕事が終わらなくて、あんな風になってしまっているのだろうか、という漠然とした不安な気持ちが自分の中にある。だから「労働生産性」に関心がある。

ドイツは効率がいい、というのは植え付けられたイメージなのかと思いきや、授業で説明もあった通り、揺るぎない事実だ。日本もドイツも第二次世界大戦後に急成長を遂げた、「勤勉な国民性」という部分で共通しているはずなのに、なぜこうも差があるのかを考えたい。

書き出しは、ドイツの生産性を称賛するような内容となってしまった。(ヨーロッパ研究を受ける前の自分のドイツのイメージが体現された形だ)だが授業であったように、ドイツも決して「絶好調」ではないということを確認しておきたい。

高い労働生産性を誇るドイツでも、その労働生産性の低下が問題視されている。ドイツ社会で拡大する格差問題は、経済的側面に限らず、高技能と低技能の就労者の二極化という問題も内包している。

それにより、ドイツの産業形態を支えている部門で必要とされる中技能雇用が一気に減ったことで、労働生産性が脅かされている。英米中をターゲットとして輸出を多く行っている大企業が思ったように輸出を出来ないという状況など、多くの要素が絡み合った結果と言えるだろう。

普段あまり耳にすることのないドイツの苦しい状況を詳しく知ることが出来た。しかし、そんな中でもやはり「ヨーロッパの経済大国ドイツ」の労働生産性というのは注目に値する。

国土面積も人口も似通っており、敗戦を経験している日独ではあるが、ドイツは仕事を休みまくる国で、日本は残業して働き倒す国だ。有給消化率93%のドイツに対して日本では有給を取る事は忌避され、6割の人が権利でもある有給の取得に罪悪感を抱いている[i]

法的に定められている年次有給休暇の数もそして労働時間をみても、日本では10日、ドイツでは20日と差が大きい。ドイツは年間約1500時間で、日本は年間1800時間となっている。

これまで提示してきた資料でもうすでに明らかなのは、両国とも先進国であり、経済大国であるはずなのに、ドイツと日本の労働時間には大きな差があるということだ。日本の労働生産性が低いと言わざるを得ないということだ。次の段落からはその理由を検討していく。

生産性の差の正体

ドイツと日本の労働生産性の差の理由は、①「考え方の違い」と②「数値上の生産性の意味」という2つの観点から説明できる。

まずは「考え方の違い」について隅田貫による『仕事の「生産性」はドイツ人に学べ』等の参考とした文献の内容を中心として説明していく。

根本的に、ドイツと日本での考え方は大きく異なる。ドイツでは、「仕事はやるべきことをさっさと終わらせて早く帰って家族と夕食の時間を楽しむ」という感覚があるのに対し、日本では上司も残業をしている中、定時で退勤することはかなり空気的に難しい。

ドイツで残業をしているとそもそも、「残業をしないと一日分の仕事をこなすことが出来ない無能な奴だ」という印象を持たれてしまう。「自分の仕事の時間管理はしっかりできているから毎日定時で帰れる」という理屈だ。周りから優秀だと認められるためにも、残業は徹底して避ける。

ドイツではこの理念の下、自分の「任されたこと」には勤勉に取り組むが、それ以上のことで無理をして、自分の時間管理が崩壊してしまっては本末転倒だと考える。

自分の人生は自らが主体的に生きていくという精神の下、自分の人生そのものである時間管理を徹底している。絶対にやらなければいけない仕事がしっかりした自己管理の下で出来ていればなんの文句もないため、働き方は極めて自由だ。

だが、それが実現できるのは、「与えられた仕事をやり、成果を出せばいい」という価値観が浸透しているからこそである。ドイツの働き方として、自分の能力を超える量の仕事は引き受けない。メールでのやりとりも相手の「メール確認という仕事」を増やすことに繋がるため、極論内容を絞る。例え、上司から「これも頼む」と言われても、今日の自分の仕事に基づいた計画があるから引き受けられない、と断る

理屈上それらを実践すればいいのはよくわかるが、日本社会ではあまり現実的ではなさそうだ。そこで、なぜドイツではこれが可能なのかを、あるアンケート調査から考えたい。

「自分がしたい事だが周りはしないことをするか?」というのが設問だ[ii]「したいことをする」という回答の割合が日本では35%、ドイツでは64%だった。逆に、「周りの様子をみて行動するという」回答の割合は日本では54%、ドイツでは18%だった。自己主張をする傾向にあるドイツに対して日本は集団主義的(協調的)だ。

もう一つ別の調査を見てみる[iii]。「世間の慣習に反しても自分の正しいと思うことを貫くべきですか」という質問への回答は、日本は中間的回答(一概には言えない)が30%だった。それに対して西ドイツ、フランス、イギリスの中間的回答数の平均は全体の5%ほどだった。賛成反対に加えて中間的回答が設定された質問においての、中間的回答率の高さは、西洋文化圏と比べると日本が圧倒的に高い。

古代の日本列島では水稲作・耕作文明が発展していた。村という共同体の中で助け合っていた村落共同社会性が、現代社会にまで引き継がれている。周りに角の立たない円滑な社会的コミュニケーションの術が「曖昧な回答」なのかも知れない。これと似た原理で、思ったことをはっきりと言わない風潮合わない人を批判はせずに自分が距離を置く現象などが説明できる。

このような観念はドイツでは非常に薄い。ドイツは大量の移民を受け入れている国であるため、職場での「文化的暗黙の了解」は通用しない。自己主張をきちんとする国民性は、この社会的背景から来ているとも解釈できる。違う文化を尊重するからこそ、理解できない時や食い違った時にしっかりと意思疎通を行うという習慣が根付いたのだろう。

次は顧客サービスの観点で両国を比較してみる。日本には「お客様は神様」といった言い回しが存在し、労働者の「消費者のために全力を尽くす姿勢」が重要視されている。お客様のために日曜日も店を開けて、コンビニも24時間開けて便利な生活をしてもらおう、ということなのだろうか。これが正しいサービスのあるべき姿かは置いておいて、世界的に日本のサービス産業が評価されるのも頷ける。

しかしこの点でドイツは、より労働者の権利を主張していると言える。日曜日に店を閉めるのも、日頃の仕事でしっかりと義務を果たす分、休日には休む権利を主張しているのだろう。義務を果たすためにドイツ企業が実際に行っている面白い例が、日中の一定の時間の間は顧客からの電話対応などを一切取りやめて、業務に集中するというものだ。また、会議に出るにしても、会議の中でアイデアを練り上げていくのではないらしい。自分の中でアイデアを完結させた状態で、どれがいいかをみんなで決める場として会議が用意されているという捉え方をする。

ここまで様々な視点からドイツの考え方を中心に焦点を当ててきた中で、日本との圧倒的な違いが明らかになった。社会背景がもとになって形成されている国民性そのものがドイツと日本では大きく違うため、価値観の差も大きい。日本の協調性や周りを思う気持ちにも少なからず良さはあるが、今回の着眼点である「生産性」においてはこれが裏目に出てしまっているようだ。「最短ルートである意味ドライに終わらせる仕事文化」の有無が鍵となりそうだ。

数値に固執するな?

ここまでは「生産性」を正義としたような論調だったが、その前提を少し疑いながら「生産性を示す数値」と「その背景には何があるのか」について考えてみたい。

「生産性の数値」なるものも所詮は「数値」に過ぎない。労働生産性ランキングで一位に輝いているアイルランドは、世界的大企業を低い法人税率で国策として誘致しており、その売り上げが名目上一位の数値の理由となっている。企業本国の課税から逃げているとして、大企業に対しては国際的批判が集中した。

次は日本の労働生産性の数値の低下傾向に着目する。事実、また、数値上は1人当りの労働生産性が下がった[iv]。しかしデータ作成にあたった日本生産性本部は、「経済成長は決して悪くなかった」としている。

数のトリック

それでも、人手不足だと認識して企業が雇用を拡大させたことで「一人当たりの労働生産性」が低下したというわけだ。母数が増えれば、一人当たりの効率が下がるというのは、面白いくらいシンプルだ。そしてその、「一人当たりという単位」の中での人材の質も「ピンキリ」だ。極端に「出来ない人材」が母数を増やせば生産性の値は大きく低下するのは明白だ。

更に、この数値の仕掛けとして、メルカリAirbnbなどでのモノやサービスのやり取りが増えているのも事実だ。これらの企業の営業形態は、アプリ利用者の払う手数料から利益を得るという仕組みだ。だが、ここで利益を得ているのは企業ではない。メルカリの出品者、そして宿泊施設の提供者も利益を生み出しているが、この数値は統計には反映されていない。以上のことから、そこまで単純に「生産性」に執着して、数値の変動で一喜一憂するのは賢明ではない事がわかる。

幸せと経済的価値

最後にもう一つの大事な点に、筆者の感想を交えながら、触れておきたい。それは「労働生産性」というのは経済価値を基準として考えたもので、経済的充実は、普遍的な価値観という訳ではないという事だ。人それぞれ、何を幸せと感じるかは異なる。そもそも人生は幸せを追い求めるもの、と断定するのも非常に偏った考え方かもしれない。

日本の「労働生産性の低さ」も悪い事ばかりではない。物は言いようで「仕事を頑張っても上手くいかない人にも優しい」とでも「長期間の努力を重ねて花開くタイプの人が報われる」とでも言える。ある意味効率的とは言えない年功序列のシステムの日本社会は、才能に恵まれない人を救済出来る形なのかもしれない。

効率を追求していけば、「戦力外通告」が繰り返されて、通告を受けた人たちはどんどんと淘汰されていく。そうすると全体の効率はよくなるかもしれないが、最下層で苦しむ人と富裕層の頂点に君臨する人の間で、凄まじい格差が生まれることは容易に想像できよう。

日本は「実力主義側に偏った社会構造」ではないにしても、生まれながらにして、自分の努力とは全く関係のない部分ですでに格差が生まれてしまっている。生まれ落ちる家庭、地域、広く言えば環境によってスタートラインの位置が違う。本当は大学に進学して学問の道に進みたいと志しても、家が貧しいが故に夢を諦めなければならない人もいるだろう。生まれながらの特権、そして不平等を自覚する必要がある。

さいごに

①「ドイツと日本の労働生産性の差の理由は考え方の違いから」②「数値上の生産性で全てを語れる訳じゃない」という結論から、かなり逸脱してしまってはいるが、一歩引いた広い視野でこの問題を俯瞰してみようとした時に、このレポートのテーマのちっぽけさを実感した。ヨーロッパ研究の授業を通して、ヨーロッパ社会の現状を知り、日本と比べ、壮大過ぎはするが、「生きる意味」に至るまで考え、思いを巡らせることが出来た。


最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

他にも、ちょっとためになるトピックで色々書いています👇


参考文献

[i] 有給取得状況の国際比較
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/yasumikatawg/03/sankou_03_1.pdf 

有給取得に罪悪感を感じる人の割合
https://welove.expedia.co.jp/press/40915

[ii] 竹内靖雄『「日本らしさ」の解体新書 日本人の行動文法』(東洋経済新報社、1995)

[iii] 足立邦夫「ドイツ民族を知らないと21世紀は語れない~最強のライバルの国民性と文化~」(オーエス出版、1990)

[iv] 公共財団法人日本生産性本部「労働生産性の国際比較 2019」レポートhttps://www.jpc-net.jp/research/list/pdf/comparison_2019.pdf 

・隅田貫『仕事の「生産性」はドイツ人に学べ』(角川書店、2017)

・熊谷徹 「5時に帰るドイツ人5時から居残る日本人」(SB新書、2017)

・やつづかえり 「今年も先進国最下位。日本の労働生産性の課題と持続可能な生活のためにもっと大事なこと」 (2019)

 


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