見出し画像

本読むの嫌い。ドラッカーのせい?俺のせい?本を読む意味ってなんですか?


内定先から届いた本たち(7冊くらい届いた)を最近は読んでいる。これも自己研鑽と言えばそうなんだが、労働のためといえば労働のためで、時間外労働では?!と言いたくなっている自分もどこかにいる。でも、それを言い出したら文句垂れ過ぎなので、ここに文章という形で吐き出すに留めておきたい。

拝啓、本への文句

昨日、ドラッカーのマネジメントを読み終えた。300ページあって、内容的にもかなり重たい。重たいと言うか、サクサク軽く読み進められるような書き方ではない。最後のページを読み切った直後は本当に「本なんて嫌いだ」と言いたくなった。そして、家に帰ってからは結構な量のこの本についての文句を言った。

文句の内容は…

こんなに時間をかけて読んだのに、何度も何度も同じメッセージが繰り返されていて、時間の無駄のように感じられる

まだマネジメントを仕事としてやったことのない24歳が、自分の実体験に落とし込んで考えるには、本の内容が漠然とし過ぎていた。自分の頭が悪いだけかもしれないけど、このわからなさがイライラする(自分のせい)。

余分な文章が多い。学問の世界では結論ファーストのはずなのに。この著者だって大学で教えていた経験があるはずなのに。なぜか結論を言うタイミングがバラバラでわかりにくい。しかも、この本のメインは「常に組織の存在意義や顧客目線での価値などの本質に立ち返れ」というな内容だったような気がする。でも、余計に読み手(顧客。今回で言う康弘)目線で欲しい情報が全然サッと提供されない。ということで、この矛盾に腹が立つ。

笠井康弘

なんか、読みたくない

こんだけ文句を垂れるなら、読むなよ。そう言われたら何も言い返せない。ただ、内定先から「ほぼ強制的な宿題」という形で送られてきたのだから、読まない選択肢はなかった。(それでも自分が読むことを選んでいて、その上での文句なんですけどね)

入社前までの勉強に役立てられるようにと札幌の実家まで宅急便で届いているくらいだから、よっぽど大事な内容が詰まった本なんだろう。読んでいても、「仕事をし始めたら、この原理原則が頭に入っているかどうかの差が出てくるんだろうなぁ」とは思った。

ただ、今読むのってなんだか効率悪いというか、良いタイミングじゃない気もする。必要に迫られていないのに、必要だと自分であんまり感じられていないのに、嫌がる自分を無理矢理説得して頑張って読んだところで、「ある情報を渇望しながら読む読書」には敵わない。社会人になったら時間にないのはわかるけど、今読んでもモチベ・動機がとにかく弱い。「え〜これ今じゃなきゃダメなの?」と思いながら、読むのが苦手だから、30分くらい頑張るのを調子がいいときは1日に4セットくらいやっている。

まあ、贅沢(興味のない好きじゃないことは一切しなくて良い、みたいな)を言いだしてしまったら、何もできなくなるんだろうけど。それでも「読んだほうが良いのはわかっているけど、あんまり面白くないし、吸収率も良くない」という感覚を抱えたまま、無理に読書をするのが、本当に嫌だ。

文句言って、結局何を求めているの?

じゃあ、この一連の文句は結局どこに向かうんだ?と思った。今の自分は読書の価値を明らかに理解できていない気がする。世の中で多くの人が読書を沢山した方が良い。絶対に価値ある時間・将来への投資になる。そう聞く事が多い。まあ、実際そうなんだと思う。でも、「読書には価値がある」と心底は納得できていない自分がいる。

だから、読書がどれだけ大事なのか、もっと具体的な経験談みたいなものが聞きたい。もしいまこのnoteを読んでくださっている方に「読書のパワー・価値」みたいな部分について、コメントで僕に教えて頂けたら嬉しいです。

なんでみんな本を読むんだろう

フィクションの物語を映画をリラックスしながら見るかのような感覚で楽しむ。ビジネス書の力を借りて、仕事でぶち当たった壁を乗り越える。健康の知識を仕入れて、自分の実生活で試してみる。論文を沢山読んで、卒業論文で自分がしたい主張をバックアップ出来るような論拠を探す。興味のある分野のプロの考え方に触れる。(直接会って話せないけど、本を通して擬似的な会話をするかのように)

本読まないんだよね…

うーん、こんなもんかな?でも、個人的には全然本を読まないからあんまり気持ちがわからない。自分の中での読書は「学位のために避けられない道」だったし、もっと小さい頃は「読書感想文のために読んだ感が出る程度は目を通さないといけないもの」だった。

自分の興味関心から、本を読み進めるのが辞められなかった経験って全然ない。1冊、2冊かな。一部がめっちゃ面白くて、その章だけすごい勢いで読み終えちゃったことはあっても、関心が一冊分まるまる続いた試しはない。

ただ、ゲームの攻略本、車の情報誌、将棋の戦略の本、ファッション・建築系の雑誌(眺めて視覚的に楽しむ)は見ていたなぁ。でも、文章の部分はよっぽど興味がないと読まなかった。ゲームに関しては読まないと、防具の数値の理屈が理解できないとか色々あったから読んでいたけど。車の雑誌とかも、小学生の頃なんか特に、美術館を超雑に眺めるくらいのテンションでパラパラと何回も見て、ただただ視覚的に楽しんでいたなぁ。

本の文章を読める条件

でも、「目的があるとき」は我慢して文章が読める。ネットで記事を探しても、インスタで情報収集しても、YouTubeで解説動画を探しても、なにも見つからないときは、しゃーなしで本に当たる。でも、それ以外のときは拒絶反応がすごくて、見たくもない。

本屋さんは楽しい

本屋さんの中をウロウロするのはなんとなく昔から好き。自分の興味のあるワードを見つけて、料理の本でもなんでも、ペラペラめくってみると、ちょっとおもしろいモノに出会えるからだ。

最近だと世の中のトレンドと、自分の興味関心がすごくクリアに浮き上がってくる感じがして、楽しい。社会のみんなの関心、困りごとが本のタイトルとして取り上げられている気がする。これが本当だとしたら、本屋さんは人こそ居ないけれど、情報提供センター・お悩み相談所みたいな感じだと思う。自分の興味関心に関しては、どの本のトピックに惹かれるかで、「あ、自分ってこんなの興味あったなそういえば!」と気づく瞬間が結構あったりする。

本って無駄が多いと思っちゃう

でも、また文句が言いたい。自分のためにテーラーメイドされている本は存在しないし、著者は自分の気になった部分の質問にリアルタイムで答えてくれない(当たり前過ぎる)。ここに俺はイライラしてしまう。いや、それだけじゃ言葉足らずでわからんやん?いや、そんな広い漠然とした言い方だったら解釈次第過ぎてわからんって。みたいに。文句しか出てこない。

だから、本という手段で情報を集めるのも、自分の悩みを解決するのも、なんだか最短ルートじゃないって感じがする。無駄に時間がかかるし、本は楽しく読めないから基本的にはストレスだし。

本を読める人でありたいのに

嗚呼!どうしよう!本読んだほうがいいのはわかってるんだけど、俺には合ってないのかも知れない!でも、noteで気になるトピックについて読むのは大好きだし、こうやって文章を書くのも大好きだ。だから、本は嫌いだけど、本の中身はだいたい好きだ。紙の本を読むのが好きじゃないだけだ。

だったら全然それで良いやん、と思わないこともない。でも、興味がある本を読み込んで、めっちゃなにかに詳しくなりたいと思ったりはする。事実、俺の仲良しの喋っていてめっちゃおもろいやつは、めっちゃ本を読んでいる。純粋な興味関心、仕事関係で必要だから、とか理由は様々だけど。でも、俺は同じことが出来ない。出来ないことは無いけど、めっちゃエネルギー消費して、しんどい。

さいごに

気付いたら3000文字、1時間弱のタイピングにも疲れてきたのでここら辺にしよう。久しぶりに、自分の思うことをぶちまけるスタイルのnoteを書いた。本と違って爽快で楽しい。幸せなことだ。

どれだけストレスが溜まっても、悩んでも、この書いて発散したり解決する手段があるから自分は大丈夫、そう思っている。大丈夫じゃなくなるかもだけど、結構自信ある。

んー。こんだけ書いてみたけど、気付いたのは、「本ずっとガリガリ読める人になりたい」vs「現実の康弘は本が無理な人間」このギャップがしんどいってことなのかもな。無駄に高い理想(どこから来ているのかもよくわからない)で自分のクビをしめるという、自分あるあるなパターンだ笑

でも、「本を読むことの価値・目的」を改めて見出すことが出来たら、この文句(悩み)も一瞬で吹き飛ぶ気がする。もうすでに書いたけれど、この笠井康弘の「偏った考え方」を、方向転換させるような素敵な発想を誰かおすそ分けくださいな🙌

文句を言ってスッキリしようと思って始めたけれど、皆様に助けを乞う+自分の中でなにかに気づいてこのnoteは終わることになった。これだから、noteって楽しい。


最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

#ドラッカー
#マネジメント
#読書
#本
#読む
#ストレス
#本屋さん
#目的
#大学生
#内定
#仕事
#ファーストキャリア


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。