見出し画像

友人との会話がきっかけで出会えた古典、「蘭亭集序」が教えてくれたこと。


「蘭亭集序」を読んで、人生の喜び、対話することの大切さ、記録することの意味、表現することの価値、諸行無常のこの世の中にある「不変」。こんな事を感じました。そこに行き着くまでの成り行きは、ここから書いていこうと思います。

僕の考え事

色々と最近自分は思い悩んでいるというか、考えているんです。時間があるからこそのありがたい考え事だと思います。

2023/07/15(自分の日記より。IGにも載せた)

俺が留学先で必死で勉強して友達との時間も全力で楽しんでいた間に多くが変わったよね….。仲良しはほとんど皆仕事に奔走していて、日本全国、世界各地で頑張っていて「取り残された感」は否めないけどこれは自分の決断。まだ、自分の「いつもの居場所がない京都」 っていう現実を完全に受け入れるのは難しくて。でも、もう2週間もすれば俺の人生約24年のうちの4年を過ごした京都で暮らす時間も終わりで。なんだか感慨深い。動けなかった時期(メンタル不調で)もあったけど、今こうして徐々にいつもの感覚を取り戻せてる。今までどれだけ周りの友達に救われてたか、そして自分1人じゃ何も出来なくて弱いってことを思い知った半年。みんなそれぞれ違う人生のフェーズに居て、でもそれで良いんよなあ。INFPっぽい人生の楽しみ方(16 personalities という診断の結果のアルファベットの組み合わせ。自分の感情と向き合って、味わう時間を設ける「INFP」の親友の「感情が溢れてくるとき」の過ごし方を思い出した)をしてみてる。湧き上がってくるものを楽しむ的な。 良い時間。普段滅多に1人でなんか飲まないけど今日はそういう気分!(スーパーで買った500mlのハイボールを蒸し暑い京都の夜1:00に外で階段で座って飲みながらこんな文章を携帯で書いて遊んでいた)

頭の中は、こんな感じです。

とある日の帰り道

先日、友人と夕方に待ち合わせて、深夜まで飲んでいた日がありました。久々に会えてとても楽しかった時間でした。友達と分かれたその後は「深夜の罪深マック」が食べたくなって1人でマクドナルドへ。限定の北海道じゃがバター味のバーガーセット(飲み物はスプライト)を完食しました。

食べている間も、帰り道もどこか寂しくて、この世を彷徨っているかのような感覚が強かったです。上の日記の内容とどこか似ていました。でも、今回はある友達に話を聞いて欲しいと連絡をしました。自分でも上手く言語化出来ない「感情の洪水状態」だったけれど、その友達は一緒に座って僕の言葉をしっかり受け止めて、共感出来る部分はしてくれて、「そんなとき、自分ならこう考える」という考え方を共有してくれました。気付けば午前四時近くでした。

友達へのメッセージ①

話を聞いてくれた友人へのお礼のメッセージ

遅くなっちゃってごめん、本当にありがとうね。やっぱり自分の心に素直になるのが難しいけど、ぐちゃぐちゃな話を聞いてくれて助かった。さっきはやっぱり寂しくて、話を聞いて欲しかった。〜ならなんかわかってくれる気がしてさ!さっき口で話したことと同じ内容だけど、昔から仲良い友達とでも、悲しみとか寂しさとかについて包み隠さずに話すことをずっと怖がってたなあって最近気づき始めてる。でも、今日は小さい一歩だけどこういう感情について「シェア」出来て良かった。上手く言語化出来ないけど、〜は器が大きい人だなって感じるよ。だから、俺も〜に話したいと思ったんだろうな。別に大したことない話ももちろんだけど、もっと考え方とか人生観とか、たくさん話聞かせてね。今日は多くを学んだ気がする。他の人は考えてすらいないような部分まで自分の感情を丁寧に拾い上げて、それを他の人と共有出来る人(この友人は、自己開示がとても上手なんです)はなかなかいないと思うから、尊敬してるよ。偉そうな言い方になっちゃうけど、自分にないすごく魅力的な才能だと思う…!頭が散らかってる😂  でもとりあえず、ありがとう。

こんなメッセージを送りました。

友達へのメッセージ②

そこから少しチャットでやり取りをしていて、自分はまたこんな事を送りました。

また夜になると考えちゃうな、最近。昨日話した内容の続き的な。昨日より上手く言葉にまとまってきた感じがするよ!笑

留学中・帰って来てからもずっと彷徨っていて所属するところがない感覚。友達は多い方だから依存先は多いけど、距離・時間的理由で繋がりの強度が落ちた。仲良くしてくれてるみんなの生活にはメインの「やること」(仕事、学業)があって、そこから時間とか優しさを頂戴してる「借り物暮らし」感。

自分は「みんな」と違う。それが自分の決断によるものなのにすごく不安。幸せに毎日を丁寧に生きていられるなら、それで良いのはわかっている。大学での自分はみんなと違った人生の「段階」にいると思う。だから、周りに合わせる必要はない。でも「みんな」と違った動きをしていると、疎外感を感じる。

周りに合わせる必要はないと心底から納得するには「自分自身と過ごす時間」にもっと価値を感じられれば良いのかなと思う。でもどうやるんだろう?没頭してればいいけど、そこから顔をふと上げた時に冷めてまた考え始めてしまう。常に気を紛らわせて逃げ続けるというよりは、真正面から受け止めたいな

※今はまさに「書く」という自分自身との時間。

そこからまたチャットで話していると、友達は、一つの文章をオススメしてくれました。その内容が、非常に好きだったので、この「文章との出会い」までの流れを文章にして残しておきたい、表現しておきたい。そう思って今はパソコンに向かっています。

ここからが肝心の、その友人オススメの文章です!👇

蘭亭集序(書き下し文)

永和九年(三五三年)癸丑(みづのとうし)の歳、五節句の一つ、上巳の日である三月三日に、會稽山の山陰(山の北側:ここでは地名でもある)にある私の別荘、蘭亭に詩仲間が参集して、曲水の宴を催すこととなった。上巳の本来の目的は、沐浴して除災祈福することにある。今日のこの日、幸いにして、年寄りから若者まで、多くの友人が集まってくれたのが何とも嬉しい。

私の別荘、蘭亭が存在するところは、高い山には険しい峰が聳え、森には木々が生い茂り竹が伸び、また、清流が激しく流れたり、川辺を映していたりする。私の別荘、蘭亭はその清流を引いて、曲水の宴の場としている。そこで、皆は曲水の周囲に並んで座り、作詩することになる。今回の酒宴では、音楽を奏でるようなことはしないけれども、参集した皆は、曲水の宴のしきたりに従って、盃(さかづき)を受けては詩を作る作業をするので、心の深奥を速やかに表現するには十分なのではないか。

この日、幸いにして空は晴れわたり、空気は澄み、春風が穏やかにのんびりと吹いて来る。仰いでみると空の広さが何処までも望めるし、周囲を見回すと春の息吹を実感する。今日のような天気が私たちに春の園遊に駆り立て、私たちに人生の思いを述べさせようとするのであって、今日の天気とこの曲水の舞台は、まさに作詩に相応しい。心から、今日の曲水の宴を楽しんで欲しい。

そもそも、人がお互い仲良くこの世に生きて行くには、心に抱く様々な思いを気兼ねなく部屋の中で述べ合ったり、詩とか絵に託して、身体の外にさらけ出すことが、どうしても必要になる。人の生き方は人それぞれで、皆違うけれども、少しでも人と共通するところがあれば人は誰でもそれを喜ぶし、少しでも人に納得するところがあれば人はそれに満足して、年を取るのも忘れてしまう。しかし、人生長く生きていると、それに飽きてしまい、人の心情は世事にかまけて、本来の人情を忘れてしまう。若い時に感じていた人生の喜びも、年を経るに連れて次第に色褪せたものとなってしまう。それでもなお、人は思いを述べたり、表現したりすることを止めることはできない。それほど表現することは人生にとって重要なことである。まして、人生とは長い短いの差はあっても、最後には誰もが死に至るのである。古人の言葉に「死生もまた重大事である」とあるけれども、これほど痛ましいことはない。

昔の人の書いた感動の一文が、私たちを感動させて止まない。そのわけを考えてみるたびに、何時でもみな符丁を合わせたように見事に一致しているのに驚く。私たちはそれらの感動の一文を見るたびに感動せずにはいられないし、その感動は、何時までも自分の心に響き、抑えることはできない。

もとより、生と死は同じだと言うのは虚偽の説であって、長命も短命も同じだと言うのは出鱈目であることを、私は知っている。生は生であって、死は死に過ぎない。生を大事にしない人が、どうして死を大事にすることができようか。

今、ここに生きていて感動し、その生の感動をここで表現することが諸君に求められていることは言うまでもない。将来、後世の人が、私たちが催す蘭亭の集いの記録を見るのは、それはまた、やはり、私たちが、昔の人の文を見て感動するようなものであるに違いない。それは極めて悲しいことでもある。そういうわけで、私はここに参集なさった人々の名を列挙し、皆が作詩したものをここに記録する。世の中が変わり、事物が異なることになったとしても、人が感動する所以は、決して変わるものではない。後世、この蘭亭の集いの記録を見る者は、間違いなく、この文に感動してくれるに違いない。

さいごに

ここ最近の考え事に対して、答えの一つ、その中でもとても考え抜かれていて、洗練されていて、説得力がある内容を示してもらえたような気がしています。

人生の喜び、対話することの大切さ、記録することの意味、表現することの価値、諸行無常のこの世の中にある「不変」。

冒頭でも書いたように、こんな事を感じました。なんだか、とても力強い文章で、元気づけられた気がしています。

皆さんにも、この感情を共有したくて。心に抱く様々な思いを、身体の外にさらけ出すことがしたくて。文章を書くという形で思いを述べ、自己表現をしておきたくて。それを通して少しでも共通するところを見つけて、喜んでほしくて。

こんな思いでこのnoteを書きました!響く人に響いてくれたら良いなと願ってます。でも、期待はし過ぎず、あくまで自己満足で。

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

この記事が参加している募集

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。