時間の経過を楽しむ。
自分に起こった出来事が、自分の中に染み込んで、じんわりとゆっくり発酵することで形を変えていく。そのようなプロセス無しには受け止められないこと、意味の分からないことがある。
「気付く」「分かる」というのはきっとそのような時間の経過を必要としていて、それは「生きる」ことと丁度同じことだと思う。
人生で発生する様々な出来事の価値、自分にとっての意味というものは後から振り返ることでしか分からない。
生きることの価値は、生き続けることでしか分からない。
時間が経過した後、それはもしかすると形を崩して台無しになっているかも知れない。落胆するような結果になっているかも知れない。
でも、だからこそ、さらに時間を過ごすことに価値がある。一度は「台無し」に見えたものが実際自分にもたらしたもの、それを分かるためにはさらなる時間の経過が必要だからだ。
「何とかなる」と思える日が、そう気付く日が、必ず来る。
生きてるだけで価値がある、というのはそういう意味だと思う。
時間はみんなに平等に過ぎていくけれど、起こった出来事の意味を後から気付かせてくれる、そんな固有の時間経過は自分だけのもの。自分しか持ち得ないもの。
そんな時間の経過を楽しめばいいと思う。
それは、生きることと丁度イコールだ。
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先日投稿した以下の記事を再読していて、これは時間の経過がもたらした恩恵以外の何物でもないなという気付きがありました。
もっと若く多感だった頃は、困難さや大変さを前面に感じていたけど、その困難さや大変さをいちいちキャッチしてくれた自分の繊細な有り方が、どれだけ多くの収穫や気付きを自分にもたらしてくれたのか、
そんなことを感じながら出てきた言葉を文章にしてみました。
振り返ってみると、これまで「人生の具体的な目標」みたいなものは希薄だったと思うけど、進むべきところに進んできたんだなと思います。
それは以下記事のオチにある「日本酒を楽しむ」という味覚・嗅覚の繊細さという狭義の世界だけではなく、もっと広義に自分の内面や自分の役割に対して繊細だった結果、今の自分があるんだなと感じます。
自分に起こった出来事が、自分の中に落ちて、染み込んで、ゆっくりと発酵した結果、今の自分があるんだなと思います。
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