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2018/11/28

思春期の頃から、エッセイを書くことへの憧れがあった。代表作は『冷静と情熱のあいだ』の小説家、江國香織さんが好きで中学生の頃はよく江國さんのエッセイを読んでいた。大人になってからはビジネス書や参考書しか読まなくなってしまったけれど、江國さんの影響からエッセイという存在が好きになったんだ。

昔から夜型のわたしは、眠れない夜はよく折りたたみの携帯でポチポチと創作小説を書いていた。小説家になりたいと思ったことはないけれど、自分でサイトを作ったりして自己表現することには余念がなかった。そんな気質が、今につながっているのだとは思うけど(笑)


わたしは22歳でうつ病になるまで、自分はメンタルが強いと思っていた。

幼少期からメンタルの弱い母を近くで支え続けていたし、将来は自分が親を助けていくんだと信じ込んでいた。うつになったときは、その目標が叶わないどころか、自分が助けてもらわないといけない側になって葛藤した。元来、能天気な性格をしていたから、自分がそういったことで悩むことになると思っていなかった。人生は何があるかわからない。


それでも、なんやかんやして28歳までこぎ着けたから、なんとかなるもんだ。
わたしは職業柄、よく悩んでいる人や精神を病んでしまった人と接することが多い。共通点としては、全員「自分はもうダメだ」というようなニュアンスのことを言っている。それでわたしは一人一人に、「いやそんなことはないよ、いまはそう思うだけだよ」と言う。

本当に、嵐が来ているときは「もうダメだ」と思うしその気持ちはよくわかる。だからといって、「本当にダメだね」としてしまったら陽の光は拝めないのだ。


だいたい、わたし自身がもうダメだと思いながら、ギリギリでここまで生き残ってきている。いまになってエッセイも書き始めたりして、自分の中のどこにここまで生きるエネルギーが残っていたのかと疑問に思う。自分ができたから、他人もできるなんて理屈は通らないケースもあるが、体験してきた身としてはやはり励ましたくなる。

不幸自慢ではなく、参考までに言うとわたしのうつ病はけっこう重かった。

急性期には、1日の中で外に出られる時間が2時間ほどだった。刺激を受けすぎて疲れてしまうからだ。当然、家族以外の誰にも会うことはできなかったので、友だちという友だちはそこでほとんど縁が切れた。夜は眠れない、朝になってから寝た。悪夢をよく見た。

そんな廃人のような生活を3ヶ月くらいは送って、あとの1年7ヶ月は良くなったり悪くなったりの繰り返し。回復するのかどうかもよくわからない日々を、このまま諦めたんじゃ悔しいからという意地のみで乗り切った。

やっとまともに動けるようになってきたものの、健康には戻り切れない。フルタイムじゃ働けないし、まだ学生の頃のほうが学校とアルバイトを兼業してよくやれていた。20代前半で、自分の一生を憂いた。

起業するしかなかったから起業した。自分の持っている能力を全て注ぎ込んで、それでも足りなければ勉強をするようになった。大人になって読む本がビジネス書や参考書ばかりになった。自分のことなんて大嫌いだったけれど、やれることから手をつけた。そうじゃなきゃ、廃人のまま一生終わってしまうという、よくわからない危機感だった。

自分のこともちゃんとしていないのに、役立ちメッセージを不特定多数に届けるような発信ができるのか?
疑心暗鬼だったが、やるしかないからやった。意外とできた。

そんな不細工なガラクタみたいなエピソードの積み重ねで、いまのわたしがある。有難いことに、いまは、自分のことが好きだ。頑張ったもん、すごく(笑)


「うつ病になってよかった!」なんてことは1ミリも思わないけれど、自分の人生計画にバグを起こしながらも、軌道修正してなんとかかんとかやってきた。まだまだ理想の未来には遠いけれど、少しずつ近づいてきた。
たった2時間も外に出ることができなかった人間が、いまではYouTubeチャンネルに顔出しで映るんだから、すごい進歩。人生はどうなるかわからない。

だからあなたも頑張れ、とは言わない。なんだか最近、わたしはうつ病の怒涛のジャブ&ストレート&アッパーカットに耐えられた過去の自分のことを、ものすごく尊敬している。やっぱり、病気というものはつらいし、頑張ったからどうこうなるものでもない。だから、ひとつだけ。

嵐は過ぎ去る。

ただこれだけ、胸に抱いていてほしいと思う。



今日はこれでおしまい。明日はまた来る。明日もまた、明日を生き切ることだけを考える。おやすみなさい。

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