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語られずにいるキーパーソン、元次郎さんのほかにいたもう一人の友人

映画「ヨコハマメリー」の主役は、メリーさんではなくシャンソン歌手の元次郎さん。
実際に映画を目にした人の多くは、こう感じたにちがいない。
そのせいだろう。メリーさんを語る際、元次郎さんに絡めて語るブロガーは少なくない。

人によっては、彼女が化粧品を買っていた「柳屋」やクリーニング店「白新舎」、馬車道の老舗レストラン「相生本店」、「ルナ美容室」などに触れるケースもある。いずれも彼女を見守っていた優しい人々のお店で、心温まる交流にじんとなる。

しかし彼女を語る際、ずっと触れられずに来たキーパーソンがいるのだ。
それは写真家の常磐とよ子さんだ。
1930年生まれの常磐さんは、横浜の写真界の長老的存在である。
1957年に女性でありながら真金町遊郭を撮影した『危険な毒花』(三笠書房)でセンセーショナルにデビュー。
夫の奥村泰宏さん共々、戦後の横浜を写した写真が高く評価されている。

常磐さんのインタビュー記事
https://www.hohjinkai.or.jp/news/5435/interview/interview.html

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じつは常磐さんはメリーさんの写真も撮っていた。
「本牧スターホテル前」と題されたその写真は、かつては写真展に出品されていたそうだが、近年は目にする機会がない。僕自身も話に聞いているだけだ。

常磐さんとメリーさんの接点は写真だけではない。
じつは常磐さんも「白新舎」の常連客なのだ。「白新舎」が出会いの場になったかどうかは分からないが、ふたりで会う機会は結構あったらしく、友情と呼べそうなものも芽生えていたようだ。

拙著『白い孤影』のなかに、常磐さんは3行だけ登場する。

「彼女は優しい人でした。でもわがままなところもあって、私が『今度外国に行くよ』と言うとお土産にシャネルの五番をねだったんですよ」(プロローグ)

これは常磐さんへの電話取材で聞き出したエピソードだ。
二人の間には、高価な香水をおねだりできる出来るくらいの関係性が出来ていたのだ。メリーさんは元次郎さんにおねだりしたことがない。常磐さんとの関係は、あきらかに元次郎さんとのそれとは違うものだったようだ。

『白い孤影』に書くかどうかかなり迷ったのだが、じつはメリーさんが岡山行きの新幹線に乗ったとき、ホームで見送ったのは「白新舎」の山崎さんだけではなかった。常磐さんも一緒だったのだそうだ。メリーさんと関わりのあった人たちは点と点のように孤立しており、接点を持っていなかった。しかし常磐さんと山崎さんだけは、メリーさんと三人一緒に居合わせるくらいの間柄だった。この点は、押さえておいても良い。

ではなぜ常磐さんのことを書かなかったかと言えば、完全にテクニカルな理由だ。常磐さんには全部で5回電話している。しかし何度電話しても僕のことを覚えてくれず、電話する度に自己紹介しなければならなかった。そうして取材意図を伝え、なんとか話を引き出そうとした。
反応はいつも一緒で、きっぱりと拒絶される。そのたびに話を引き延ばして、すこしずつメリーさんのエピソードを聞き出そうとした。上記の香水の話は、そうして引きだしたものだ。

常磐さんが断る理由は「若い人が戦争やメリーさんなど、極端な題材を取材するのはためにならないから」というもので、この件は<日常的な事柄を取り上げた方があなたのためになりますよ」と諭してきた年配の表現者>(P144) という表現で、『白い孤影』のなかでも触れている。

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結局常磐さんからは、わざわざ本に載せるだけの情報を聞き出すことが出来ず、価値ある話と言えば、新幹線の見送りの件くらいだった。
ただこの件にしても、唐突に常磐さんが出てくるのは変だった。取材が上手くいかなかった、という話を絡めれば出しても良かったが、取材が不首尾に終わったという点を入れる場所がなかった。どこに入れても話のテンポが間延びしてしまうからだ。
拙著の中で「ノンフィクションは嘘をつく」と書いたが、なにも悪意や作為があるから嘘をつく訳ではなく、純粋にリーダビリティーやテンポの良さを追求した結果、素材としてうまくないので外さざるを得ない場面もある。本書における常磐さんの扱いが、まさにこのケースだった。

メリーさんの物語は、小説や戯曲などといったフィクションの形で、まだまだ新しく作っていけると思う。その際、常磐さんとメリーさんの友情を盛り込めたら、より一層物語りが豊かになるのではないだろうか。
(トップ画像は常磐さんの『危険な毒花』より)

【2021年12月24日追記】

常盤さんの撮ったメリーさんの写真が久々に公開されました。



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