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伏見稲荷より60年前創建「糸我稲荷神社」中将姫の練供養「得生寺/仁平寺」【和歌山シリーズ】【和歌山紀中シリーズ】

伏見稲荷神社の創建より約60年も前に遡り創建された「糸我稲荷神社」は古社。近くに中将姫ゆかりの寺として知られている「得生寺(とくしょうじ)」があり、熊野古道があり、今でも昔ながらの道を守る場所ともいえようか。

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2024/07/05 初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時▼見どころ

▽糸我稲荷神社:和歌山県有田市糸我町中番188

  • 糸我社の創建は「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とある

  • 652年、伏見稲荷大社(私のNOTE)の創建より約60年も前に遡るので糸我稲荷神社を本朝最初の創建とし、社前鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額が上っている

  • 御祭神は倉稲魂神、土御祖神大姫神

  • 紀伊続風土記には「荘中三箇村の産土神なり、古くは殿社も宏麗に神田も多く云々」とある(三箇村は現在の糸我地区と須谷(すがい)地区)

  • 境内には樹齢500年~600年の3本の大楠がある

  • 有田市糸我町にある日本最古とされる「糸我稲荷神社」の隣りの民俗資料館には、藤原定家の愚痴日記!?など、熊野古道に関する資料を展示している

→糸我稲荷神社の大木

→白河法皇参拝

 熊野詣マニア!?白河法皇についての説明がある。『古代から中世、熊野信仰盛んなる頃に上皇方が熊野参詣されて楠の古木が生い茂る当神社に「かご」を止め休憩した証として有名な「白河法皇みくるまをよせたまひし旧跡」』とある。

→鳥居外手水舎

 手水舎と鳥居の間は車が通る道。確かに境内(神域)にはケガレ(汚れ、穢れ、気枯れ)を持ち込まない方が良いので、これが良いのかもね。

 って、流行りに乗っかっている(笑)

→鳥居

 伏見稲荷大社より創建は古いとする。そのため、鳥居には「本朝最初稲荷神社」とあるのだが、これは1810年の当時の神官・林周防が寺社奉行に報告した「糸鹿社由緒」から来ているようで、もしかしたら違うかも・・。

→拝殿・本殿

本殿右からは本殿は見えないですね。。。

 社務所あたりからは本殿がチラリと見えますね。

→脇宮「土御祖神」「「大市姫命」

 脇宮には「土御祖神(ツチノミオヤノカミ)」「大市姫命(オオイチヒメノミコト)」を祀る。

→摂社・末社

 後ほど神社の方と話したのですが、合祀した歴史があるようですね。そのため、神様不詳があります。

 三社殿あり、神様は3柱と思わせつつ多くを祀っている。それぞれが各地域(旧村や地区)なのかなという感じだ。

 下の写真の通り、しめ縄で見えないですが、スサノオ、高良王垂命、コトシロヌシ、神功皇后こと気長足姫命、三筒男命、カグツチ、オオナムチ、トヨタマヒメ、応神天皇、不詳二座となっている。

 右に行くと、 トヨタマヒメ、菅原道真、不詳一座となる。さらに右に行くと、アマノコヤネ、イチキシマヒメ、カグツチ、イザナギ💛イザナミ、サルタヒコ、不詳一座となる。

 境内の摂社・末社は大楠があり根元に大きな瘤がある。左はサルタヒコで、右は稲荷社ですね。

→みぬさの楠、コトシロヌシ

 熊野古道に面しており、かっての熊野詣でに関連し「みぬさの楠」とも呼ばれている。

 コトシロヌシですね。父・オオクニヌシと対面しています。

→大黒天

→境内と社務所

▽糸我稲荷神社元宮

 神社の方と話しているときに2月くらいには桜が奇麗と言っていたかと。社務所の説明書きです。
 530年代に凶作で高山に登り榊を植えてしめ縄を曳き神を祀ったのがはじまり。神は降臨し、ウカノミタマと名乗ったようだ。その後、みんなが知る伏見稲荷大社(私のNOTE)に降臨したようだ。

 横に熊野古道のプチ博物館があり地図があった。

 桜の名所なのは昔からのようで、万葉集にも桜の名所という詩がある。平家物語などにも「糸我」と記しており、熊野詣大好きの白河法皇も参拝している。

 車で行っている??こりゃ無理だ・・・。神社の方が徒歩40分だねというのを理解した。

 ということで、徒歩でどうぞ!

バイクもスリルあるな・・。

▽得生寺:和歌山県有田市糸我町中番229

 毎年、中将姫の命日に当たる5月14日に執り行われる来迎会式で、小学生たちが25菩薩に扮して、開山堂より本堂へ山内を練り歩く「二十五菩薩練り供養」がある。

中将姫とは次の通り。奈良・當麻寺が有名ですね。

  • 747年、右大臣・藤原豊成卿夫妻が、長谷寺に祈願して誕生したのが中将姫で、姫が3歳の時に母の紫の前が亡くなり、7歳の時に父の豊成卿が照代の前を後妻に迎えた

  • 姫は成長するにつれ容姿端麗で聡明その上何事にも優れていたので、継母は次第に姫を憎むようになり、姫13歳の時に密かに家臣に命じて、紀伊の国雲雀山で姫を殺害しようとする

  • 春時はかえって姫の徳に打たれ、都より妻を呼び寄せ夫妻で姫を守り育てる

  • 761年、豊成が猟に来て姫と涙の再会を果たし、都に帰るが17歳の時に当麻寺で剃髪して法如と名乗り、有名な当麻曼荼羅を織り上げたが

  • 775年、25菩薩に迎えられ、29歳で波乱に満ちた生涯を閉じた

 真っすぐ行くと「中将姫御影堂」で右に本堂。会式では御影堂から赤い舞台の上を中将姫と二十五菩薩本堂までが歩く。

▽仁平寺:和歌山県有田市糸我町791

  • 糸我町西の真砂谷にあり、もと真砂寺と呼ばれ、かつては七堂伽藍もあった

  • 仁平年間の1151~3年に再興

  • 古刹であるが、現在は無住で本尊・薬師如来坐像、阿弥陀如来、観世音菩薩などを小堂に安置している

  • 境内にはアジサイや白い藤の木が植えられている


▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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