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富山の国宝終結「瑞龍寺」前田利長の菩提寺は美の宝庫【北陸シリーズ/富山シリーズ】

江戸初期の禅宗寺院建築ここにあり!!高岡の開祖前田利長の菩提寺で、曹洞宗の名刹。富山唯一の国宝が集まっており、対象は金堂、法堂、山門です。京都の萬福寺を思い出しました。参拝後、ツアー客が来て、感動していました。って、高岡大仏にいたツアー客だったかもしれない・・。

変更履歴


▼HP▼アクセス

富山県高岡市関本町35

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

おおおおお~芝の色と建物のコンストラストが何とも言えないです。まっすぐ行く前にまずは左側の回廊に進んで戻ってきてください。そして、真ん中を突き進むのがお奨めです。そのあとは、写真中央の金堂奥に進んで法堂に行けます。

→総門@重文/山門@国宝/回廊@重文

総門

 総門をくぐったその先に美しい風景が飛び込んでくる。すばらしいの一言です。桜や紅葉もよいですが最近は新緑が好きになってきました。維持管理のため寺の人がマメにハゲ部分に肥料をやっているのを見ました。

山門
山門

 山門は高さ18m、左右に金剛力士像が安置され、楼上に釈迦如来と十六羅漢を安置している。

山門
境内

→ここで歴史・由緒

  • 加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺

  • 1594年、前田利長が信長を供養するために建立した「宝円寺」が始まり

  • 1609年、前田利長は、当時、関野と呼ばれていた荒野に高岡城を築き、城下町を造った

  • その際に現在の瑞龍寺の位置に富山より「法円寺」を招く

  • 1614年、前田利長が没後に利長の法名にちなみ、「瑞龍寺」と改名された

  • 三代藩主・利常によって建立

  • 義弟・利常は深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山

  • 1646年、前田利常は利長の33回忌に広大な墓所を造営するとともに、瑞龍寺の大改造着手

  • 1663年、利長の五十回忌に約20年の歳月を掛けて完成

  • 平成に、山門、仏殿、法堂が国宝に指定

  • 総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定

  • 江戸初期の禅宗寺院建築

寺の人の説明をどうぞ!

あああ~2024年の震災で被害があったよう・・・。

主要な建物3棟が国宝に指定されている瑞龍寺(高岡市)では、創建当時からある山門近くの灯籠1基が倒れた。四津谷道宏住職(54)によると、この灯籠は丸い基部がもともと少し欠けており、以前も倒れたことがあるとみられるという。
(略)
境内では、別の場所にある灯籠1基も倒れた。このほか国宝に指定されている法堂の木の壁にもずれが生じている。また、回廊の白壁ははがれ、大茶堂の壁にはひびが入った。

↓読売新聞

→山門と回廊

 山門は、1746年の火災で焼失した後、1820年に高岡町民からの多額の援助によって再建されました。左右対称の回廊は、今ではほとんど日本国内に残されておらず大変貴重なものとなっています。

山門
山門
回廊

→法堂@国宝/仏殿@国宝

 仏殿は鉛瓦で、中国からの渡来仏である釈迦三尊が安置されている。樹齢600年の能登のケヤキを使い木組みによって建てられた。なお、鉛瓦の屋根は重量47トンにも及ぶ。。。

仏殿
仏殿
仏殿

 法堂は伽藍の中で最も大きな客殿書院造で、中央奥にある内陣に加賀藩二代当主・前田利長の位牌が安置されている。

法堂
法堂

→法堂から「大茶堂@重文」「鐘楼」「大庫裏@重文」

→「大茶堂/鐘楼/大庫裏」から「仏殿/法堂/山門」

 法堂の右の若般の間に、トイレの神様「烏瑟沙摩明王」ですね。ちなみに、これは模型で、後ほど法堂で本物を見ることはできますが、小さくて見にくいので、ここでパネルなどで見どころを押さえてください。

 大庫裏の正面に「韋駄天立像」が安置されている。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

◆富山①◆魚料理と自然と動物満喫!!(魚津/滑川/立山/富山/氷見/高岡/小矢部)

 その他の北陸旅行記は次の通り。

▼セットで行くところ

▼仏像展


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