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湖東三山の紅葉「金剛輪寺」仏像×自然「明寿院(金剛輪寺本坊)」【滋賀湖東シリーズ】

開山行基菩薩の作といわれ、行基菩薩が彫刀を進め木肌から赤い血が一筋流れ、粗彫りのまま本尊として安置されました。後の世に「生身の観音」と信心されている。
本尊の仏像以外もよい仏像が多い。阿弥陀如来@重文は来迎印で、最古の大黒天坐像がある。

変更履歴


▼HP

▼アクセス

滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874

▼本尊と脇時

聖観音立像

▼見どころ

 金剛輪寺は741年に聖武天皇の勅願により、行基が開いたと伝わる。その後、一時は衰退するものの、平安時代に天台宗の開祖である最澄の弟子・慈覚大師円仁が再興。それからは比叡山の影響の元で大々的に発展し、中世には100を超える僧坊が境内に建つ大寺院になった。

 →本堂@国宝 秘仏・聖観音立像

 1288年1月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝。東京オリンピックには世界に誇れる日本の建造物の一つとして文部省が十分の一の精巧な模型をつくり上野の博物館に展示されたぐらいである。

 本尊は行基作・聖観音立像で、木肌から赤い血が一筋流れ、粗彫りのまま本尊として安置されたという言い伝えがあり、後に「生身の観音」とも呼ばれたそうな。なのですが、この荒削りの観音様は延暦寺の横川中堂で火災で焼失した本尊との関係が注目されている。どうも瓜二つのようだとか。本NOTEの冒頭の通り延暦寺と繋がりがあるので信ぴょう性が高い気がする。
 そしてこの寺には同じ様式の聖観音がほかに2体があると伝わっており、近くの仏心寺に実際にある。あと1体はどこだ??

 本尊の仏像以外もよい仏像が多い。
 本尊脇侍には天台宗でお馴染みの不動明王@重文と毘沙門天@重文で、その前には四天王@重文が並び、その後ろには二体の阿弥陀如来坐像@重文が両脇に安置されている。阿弥陀如来坐像の一体は平安時代のもので阿弥陀定印を結び、もう一体の鎌倉時代のもので来迎印とななっている。仏像の時代の違いが良くわかる。
 ちなみに、鎌倉時代の阿弥陀如来は、像高141cmのの一材造りで、像内背面の墨書から1222年から1226年に経円が制作したと記されている。

 最後に、最古の大黒天坐像がある。この大黒天は「半跏像」は甲冑を着ており所謂、七福神「大黒さん」のように袋を持っていない形式で「武装大黒天」という人もいる。

 →三重塔@重文

 待龍塔とも呼ばれ、本堂より40年後に建立された。

 →十二神将

→そのほか

▽明寿院(金剛輪寺本坊)

 本堂へと繋がる石段のたもとには、金剛輪寺の本坊である明寿院が存在する。日本最古の大黒天坐像を安置しています。大黒天は神道のオオクニヌシと一体で考えられますが、ここの大黒天は鎧をまとっております。秘仏公開のため、事前に確認してから参拝ください。

▽常照庵(金剛輪寺子院)

 本堂の阿弥陀如来と瓜二つの阿弥陀如来と不動明王二尊天が安置されている。

▽紅葉


▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

★仏像展★伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」in京博



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