隼人族の足跡「若宮八幡宮」神紋2つ「海津見神社」【高知シリーズ】【お遍路シリーズ】
高知市内にある若宮八幡宮は、戦国時代の武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が初陣戦勝を祈願したとして有名な神社。そして、桂浜にもここの摂社がある。
変更履歴
2023/12/14 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽若宮八幡宮:高知市長浜6600番地
高知市内にある若宮八幡宮は、戦国時代の武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が初陣戦勝を祈願したとして有名な神社。
1185年、平氏を檀ノ浦で滅ぼした源頼朝は、全国に守護・地頭を置く
同時に、祖父・源為義の冥福を祈り、源家の家運長久を願って京都六條の為義邸跡にあった六條左女牛若宮(ろくじょうさめうしのわかみや)に石清水八幡宮を勧請して創建
六條左女牛若宮は六條左女牛八幡宮とも
土佐国吾川郡の南部一円を六條若宮の神領地として奉納
高知市の若宮八幡宮も同じ年に分祀したのがこの神社
長宗我部家が没落した後も山内家の祈願所として栄えた
1586年に豊臣秀吉に従って島津討伐へ向かうとき、長宗我部元親はいつものように若宮八幡宮で戦勝祈願をするが、軍旗が鳥居に引っかかって落ちる。人々は不吉だとしたが、元親は「敵を笠にかけて討伐する吉兆だ」としてそのまま出陣。結果、嫡男・信親が戦死し惨敗する。土佐に戻った元親は憤慨し、鳥居を取り壊して海に流してしまう。跡継ぎを失った元親は荒れ果てて長宗我部家は大混乱、1599年に61歳でこの世を去る。1865年、地震があったときに鳥居の台座が浮かび上がり、これは神意であるとして木造の鳥居が再建し、1980年、コンクリート製で建て替えられたものであるそうな
高知市南部の総鎮守で、1185年に京都・石清水八幡宮(私のNOTEは2024年1月公開、旅行記は公開済み)を勧請したのが始まり。
→拝殿、本殿
祭神は、応神天皇、神功皇后、宗像三女伸で、相殿はタカオカミである。
若宮八幡宮の本殿は「出蜻蛉(でとんぼ)」という独自のデザイン。上から見ると、羽を広げたトンボのような十字形になっている。ちなみに土佐神社は、幣殿と御本殿が十字の形を「入りとんぼ」と言ったデザインで似ている社殿ですね。
では、「出蜻蛉(でとんぼ)」の社殿です。
→天神宮
御祭神は水の神「天水分大神(アメノミクマリノオオカミ)」と「菅原道真」である。
→三社神社、三座神社、隼人神社
〇三座神社
括弧書きで「椿社」「薬神社」で祭神は山の神「大山祇神(オオヤマヅミ)」、水の神「水波能売神(ミズハノメノカミ)」、医療系の神様「スクナヒコ」である。
〇三座神社
祭神は「山祇大神」、お稲荷さん「ウカノミタマ」、「オオクニヌシ」である。
〇隼人社
三座神社の奥に鎮座し、祭神は「福留隼人正(ふくどめはやとのしょう)」である。隼人族で今の鹿児島から海の民で流れたのかなとも思ったのだが違うようですね。
「福留隼人正」は長宗我部家の家臣で、勝負事や首から上の病気に格別の御利益があると信仰されているよう。って、祭神の名前「隼人」から来ているのね。。
穴の開いた石って何なのだろうか・・・。
→若宮家廟
▽海津見神社:桂浜に鎮座
桂浜の浜辺から海近くの岩場の上に社。桂浜の駐車場から桂浜水族館の歩道を歩くと鳥居がある。
御朱印は若宮八幡宮ですが、ただし注意事項があります。次の写真参照です。
さて、龍王宮です!
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