勝ちたいとき「加知弥神社」山幸だ「加美美都神社」夫と妻?【伯耆シリーズ】【鳥取シリーズ】
加知弥神社(加知彌神社)と加美美都神社を地図で見た時に確信した♂と♀で対になっているのでは?と。いざ参拝!!結論から言うと、夫と妻の関係ではないようだが、いまだに繋がりがあるでしょと思ってしまうのだが・・。2023年に国の重要文化財になったようで、そのニュースが公開直前に流れてきた。
変更履歴
2023/12/01 初版
▼HP▼アクセス▼祭神▼見どころ
▽加知弥神社(鳥取県鳥取市鹿野町寺内152
or鳥取市鹿野町寺内155-1)
創立年代は不詳だが、延喜式神名帳にのっている古社
加知弥神社は式内社でかつては勝宿大明神と称し、武田高信や池田光仲など因幡の武家の崇敬が篤かった
海側に伸びる道から分かれた長めの参道の先に橋があり、それを渡り切ると神門がある
門の中では大きな随神像が守りを固めていた
祭神は中座に「彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)」で、左座は「鵜萱葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)」で、右座に「玉依姫命」と、神様は宮崎・日向系神社(青島神社、鵜戸神宮)ですね
彦火火出見命は山幸で、鵜萱葺不合命は豊玉姫の子供であり、玉依姫命は豊玉姫の妹にあたる神様で、神武天皇系の祭神
神武は出雲系という人がおり、ならば日本海側に何か形跡があるのかなと出雲周辺の神社を参拝したがその匂いは無かった。ふと鳥取なのかも・・
周辺には「勝」の字が付く地名が点在している事から渡来系氏族である秦氏の一族とされる勝部氏(勝氏)と関係が深い神社だったとも
大通りに鳥居があるが、そこからは車では入れない。鳥居の左からなら車で通れます。下の写真ですね。
空きスペースに車を置かせていただき境内へ!
拝殿は、銅板葺き入母屋造平入の唐破風向拝というものらしい。拝殿前にはこの地方独特な扇形拝み石があり刻字は「天保六未年九月吉祥且」となっていた。
って、最近行ったばかりなのでびっくり。
随身門を振り返り、拝殿裏にある本殿に向かいます。
本殿ですね。銅板葺き大社造風味の唐破風向拝のようですね。
おっ摂社・末社がある。稲荷神社、東照宮、若宮、荒神、聖明神、砂田神、玉川神、今市神、宮方神、中園神、早尾神、高田神、三平神、重山神、福田神、勝山神、澤田神、濱村神、宮川神などを祀っているが、虫か蜂の羽音がすごく、近づくのを止めた・・。付近の神社14社を境内に合祀した歴史があるようだ。
昔、加知弥神社は現在の鎮座地の東方の山を一つ越した所にある宿村にあり、そこから野渓山か南端の明神鼻へ遷り、現在の社地に遷ったとされている。
当社周辺には、勝見郷・勝部郷・勝部川・勝谷・勝山・勝島と勝の着く地名が多く勝部氏の居住地とも。
▽加美美都神社(鳥取県鳥取市気高町上光969)
「かみみつ」と読む
祭神は日本武尊(ヤマトタケル)
前述したところと対だと思ったのだが残念・・・
創建年代は不明だが、宇武王大明神や六王権現と呼ばれていた
当地を治めた武将から崇敬され、亀井茲矩が社領を寄進している
1624~1644年の神道裁許状と1681~16844年の棟札が現存している
1868年、集落名を取って馬場神社と改めた
1907年、周辺の3つの神社を合祀し現在の社名に改めている
鳥居が低い・・・鳥居左から車は入られるが、先に停めるところはなさそうなので、鳥居の前に車を置く。
雰囲気のある参道で自然石の階段だったのだろうが、今は舗装されており難なく歩ける。
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