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年収5000万円から500万円への幸せ転職:ファンドマネージャーから地方自治体の公務員へ

アセットマネジメント(投資顧問)会社のファンドマネージャーを長らくやっていた内藤さん(仮名)が人事異動を機に、なんと地元の役所に財務専門職として転職しました。年収はとても大きく下がりましたが、仕事の新たなやりがいを発見し、家族の笑顔も増えたそうです。
*個人が特定されない様に会社の業種や職種などを変更して書いています。

ファンドマネージャーの仕事

内藤正一郎さん(仮名/39歳)は、株式のファンドマネージャーとしてキャリアを歩んでこられました。金融機関から受託した数百億円の資金を株式に投資して運用する仕事をアセットマネジメント(投資顧問)会社でやってこられました。分かりやすくイメージして頂く為に似たものを例として挙げると、我々個人が購入できる投資信託があります。この投資信託というファンドにもそれを運用しているファンドマネージャーがいます。ファンドには投資家から集めた資金が入っていて、その資金を何十社~百社以上などの会社の株式に投資をします。ファンドマネージャーはどの会社の株を幾らでどれくらい買うのか、売るのか、または売らずに持ち続けるのか等を判断して資産の運用を行ってファンドの金額を増やす(つまりその投資信託に投資している人々の資産を拡大させる)為に、日々企業や業界動向などをリサーチして株式市場での株の売買などで切った張ったの勝負をしています。その様な仕事を内藤さんは15年以上やってきました。

希望の仕事に就いてMBA留学から外資へ

大学時代から株式市場に関する仕事に関心があり機関投資家(信託銀行や保険会社など保有している資金を株式や債券に投資する金融機関)で運用の仕事に関わりたいと思って大手生命保険会社に就職。そして同社のグループにあるアセットマネジメント会社に出向して株式アナリストを5年程経験した後、株式のファンドマネージャーになって上司が責任者として運用するファンドの資金の一部を担当して運用を行うようになりました。その後、更にプロとして成長する為に米国大学のMBAに私費留学。帰国後は、外資系のアセットマネジメント会社にファンドマネージャーとして就職し、実績を積み重ねて担当するファンドの運用資産が次第に大きくなり、内藤さんも多額のボーナスを得ることが出来るようになりました。

その当時の年収は、基本年俸が1600万円でボーナスは本人の実績次第(青天井とまではいきませんが数百万円~年俸金額の2,3倍くらいは期待出来る制度)でした。因みに、前職の大手生保系の会社で働いていた時は、30歳で年収800万円くらいでした。

異動を機に転職を考える

ところが、ある日、会社の運用方針が変わりファンドの運用資産について日本株の保有を減らして、アジア株をはじめとする新興国の株式への投資を増やすことになり、日本株担当の内藤さんは運用担当を外されました。そしてファンドへ出資するクライアントである機関投資家や年金基金に対する営業担当に配置換えとなったのです。アセットマネジメント会社の営業は、ファンドマネージャーやアナリストとともにフロントの2トップと言える重要な仕事です。ファンドマネージャーが運用して、その運用状況の説明や報告を出資してくれている投資家に営業が説明するのです。運用について熟知しているプロでないと機関投資家向けの営業は務まりません。

しかし、運用の仕事そのものが好きで、まるで職人の様に生きてきた内藤さん。アセットマネジメント会社にとって既存のクライアントに運用報告を行い、新規のクライアントを獲得して受託資産を増やすことは大切だと理解しながらも、仕事に身が入りませんでした。知人や既知の転職エージェントに連絡を取って情報収集をしましたが、ファンドマネージャーの募集は限られており応募の機会すら殆どありませんでした。一時は周辺の業務(商品開発、運用コンサルティング、等)に転職して、先々ファンドマネージャーの仕事が出た時に転職をしようか、とも考えましたが、それではクライアントに迷惑をかけことになると思い断念しました。

地方自治体へ転職

そんな時、求人情報を検索していた時に偶然に地元の地方自治体の求人情報が目にとまりました。財務専門職の募集です。想定外、且つ、まさかこの年齢で応募出来るとも思っていなかった公務員の仕事ですが、中途半端な転職を繰り返してクライアントや同僚に迷惑をかけるのであれば、一旦は金融業界から去り、将来機会があればファンドマネージャーとして戻ってくるとう考え方もあるのではないか、と思いました。

そして、何十年振りの試験と面接を経て採用されました。年収は大きく下がって基本年俸だけでも半分よりもずっと少なくなりましたが、一方で残業時間が減って家族との時間が増えました。更に金融相場の変動を意識しないことがこんなに自由なことなのかと感動。何よりも新しい発見は、これまでの金融市場での仕事と異なって、直接に人々の役に立つ仕事が出来ることにやりがいと喜びを実感出来ることでした。これはとても新鮮な感情でした。職場の人々からも「プロの仕事ぶりに触発された」と嬉しい言葉も頂いたそうです。しかも、家庭では奥さんやお子さんとの時間が増えて家庭に笑顔が多くなりました。おじいちゃん、おばちゃんは息子がカタカタの良く分からない会社から役所勤めに転じてくれて安心したという副産物もありました。

もともと役所への転職は、悪く言えば腰掛という側面も一部あったのは否めないものの、今は仕事のやりがい、家族の幸福感など自分のライフステージにあっていることが分かり、公務員の仕事にとても満足をしているそうです。40歳を前にしてこれまでと全く異なる第二のキャリアをスタートし、新鮮な気持ちで活き活きと仕事やプライベートを楽しんでおられる内藤さんでした。

山本恵亮
1級キャリアコンサルティング技能士
プロフィール
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<公開済みのキャリアチェンジ・ストーリー>
40代のキャリアチェンジ:メガバンクから製造業の経営企画室長へ
キャリアチェンジ:ECサイト運営会社の技術職から戦略コンサルタントへ
キャリアチェンジ:証券会社の投資銀行部門からベンチャー企業のCFOへ

<お役立ち情報>
・参考ツール(無料):タイプ分け診断
・推薦図書一覧:キャリアの図書室


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