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さよならなんて
街をひとり歩いている。靴のゴム底がペチャッと鳴ってアスファルトにかじりつく。すれ違う女性の左耳にイヤリングが揺れている。あの人のことを思い出す。 あの人と過ごした最後の夜。 「ねえ、将来の夢ってある?」 彼女がそう問いかける。窓の外では薄明かりに雪が舞っている。 「夢……夢なんてないけど、これからもあなたと一緒に過ごせたらって思うよ」 沈黙が訪れるまでの短すぎる瞬間、ただよう諦念の匂い。何か言おうと言葉を巡らせたけど、かけるべき言葉が見つからない。 私の気まずさを察したように彼女が口にする。 「あなたって、前は音楽が好きだったのに、今では私のことの方が好きになっちゃったんだね」 すすり泣く声。かける言葉はまだ見つからない。抱きしめてあげることさえできない。時計の秒針が時を刻み、この静寂を引き伸ばしてゆく。 さっきの彼女の言葉をただただ頭の中で繰り返す。 そうして朝が来る。 「じゃあ行ってくるよ」 振り返って彼女を見つめる。 その小さな鼻、薄い目、少し上を向いた唇、艶やかな黒髪が左耳を覗かせる。 見覚えのないイヤリング。 「いってらっしゃい」 「うん、いってきます」 さよならは言いたくなくてそんな言い方になった。昨日の雪が街並みを染めて、私の新たな門出を祝福しているようにすら見えた。 なんという白々しさだろう。 昔、付き合っていた人がいた。三年ほど同じアパートに住み、そして別れた。物語にすらならないよくある出来事。どこでどう知り合ったとか、どんなふうに過ごしたとか、そんなことはわざわざ書く程でもない取り留めのないもの。 私は今、ギターを弾いている。日々何かに追われ悩みながら、あなたとの思い出を反芻するように。