見出し画像

東京雪 2


下の記事の続きです。


 夜の公園、並んで見上げる星空、今、僕たちの目の前に広がっている風景。明日地球が滅んで僕たちが死んでもこの星空は残り続ける、そう言い聞かせて刻み込んだ。何年経っても思い出せるように、君の歌声と一緒に。


「東京って空気が汚くて、夜でも星が見えないらしいよ」

 君はそう言ってギターのチューニングを始める。スマホのアプリを立ち上げて弦を一本ずつ弾いてゆくと画面に表示された針が振れ、「ポーン」と無機質な音を立てる。世界の歯車が僕たちと噛み合う音だ。そう思わせる小気味良い音が誰もいない夜の公園に響いた。

「うん。この辺りも、昔と比べるとだいぶ星も少なくなったけど、そんなの比較にもならないんだろうね」

「空だけじゃなくて、人も街並みも考え方も、きっと何もかも違うんだ。おそらく、俺たちには想像もつかないくらいに大きくね」

 遠い目をした君は少し大人びて見える。この片田舎の街で育ちいつも一緒にいた君が今日は少し遠く見える。そう、人も物も変わらずにはいられない。ギターのチューニングだってそうだ。今はスマホのアプリでできるこの作業も、昔の人は音叉を使って耳で合わせていたらしい。音叉とギター、それぞれの振動を身体で感じ、少しずつすり合わせていくそのアナログな作業を想像する。打ち鳴らした音叉を前歯で噛み、ギターのハーモニクスを鳴らすと、それらの振動は頭の中を北極のキツネのように飛び回る。僕がそっとギターのペグを捻るとその干渉は次第に共鳴し、最後は膝の上で眠る。そんなふうに想像をしてみると古さも悪くないと思えてくる。

 けど、やはり変わらずにはいられないのだろう。君を見てるとはっきりとそれがわかる。


 僕は言う。

「今日は何を歌おう。なんでもいいよ。君の作った曲なら大体合わせられる」

「うーん、それじゃあ、これ」

 そういってスマホを操作すると聞き覚えのあるビートが流れてくる。ミドルテンポのリズムに繊細なアルペジオが重なる。夜の闇に溶け込むような静謐さを持った優しい音色。もっとも、夜の公園で作曲をしているため君の作る楽曲は穏やかなものがほとんどだ。

 すっと息を吸い込む音がして歌が入ってくる。ギターの音色が秋の風を運んでくる、くっきりと浮かび上がる君の輪郭。儚く光る軌跡をそっとなぞるように、僕はハーモニーを乗せる。今はただこんな時間が永遠に続くと信じていた。音楽が終わるまでは、僕たちは無限の時間を共に泳ぐことができる。なんて心地いい時間だろう。なんでこんなに寂しくなるんだろう。


 草木の擦れる音だけが聞こえる。僕たちの音楽は終わって君は空を眺めている。夜空を切り取ったラピスラズリ。その瞳が一体何を映しているのか、僕にはある程度わかっていた。けどそれを認めたくなかったんだ。星には手が届かないから。


 僕の居場所、夜の公園、二人で並んでベンチに座って君の歌を聴く、それだけの日々。僕の大切な居場所が、もうじき失くなろうとしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?