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歌人 柳原白蓮。 知的で品のある女性は、いつまでも人々の記憶に残るように思う。

「わたしの思い出」      柳原白蓮 著

青空文庫の中に白蓮の名前を見つけた。

活字に飢えてくると最近は、青空文庫をたまに覗いている。

著者名を探っていたら、柳原白蓮の名前を見つけてしまい、エッセイを読んだ。

https://www.satokazzz.com/airzoshi/reader.php...

正直書店や図書館でこの書籍を見つけることは不可能だろうと思う。

そういう意味では、e-bookの可能性は素晴らしいもののように思う。

 白蓮の経歴に驚かされる。

白蓮は、とても美しい歌人であり、新聞か何かで写真を見た折は正直驚いた。没落した貴族の生まれで、お金の為に九州の炭鉱王に嫁いだように聞いていたが、実際の経歴はもっと凄まじいものであった。

この辺りはウイキペディアに詳しく書かれている。

実際の初婚は、障害のある貴族の男子で、15才で初めての子供を設けている。今の年齢で言えば中学生。この結婚は色々とごたごたもあり、本人の意向もあり20才で実家に帰されている。

その後の再婚が九州炭鉱王との結婚である。白蓮25才、相手は50才と親子ほどの年の差。炭鉱王は炭鉱労働者のたたき上げで、無学である。

その家には妾やその子供がたくさん暮らしていたようだ。

25才の東洋英和学院を卒業した彼女には、筆舌に尽くしがたいと思う。その頃から佐々木信綱氏の処で歌を学んだようである

そんな九州の炭鉱王の妻であったが、このエッセイを読むとお金を自由にはさせて貰えなかったようである。

当時の新聞記事では、贅沢で放蕩に暮らすように書かれているが、実際は籠の鳥であった。ゴシップ好きのマスコミは、今も昔も同じである。要するに、大衆が望むものを面白おかしく書いているのだ。

夫はその後も放蕩を続け、病気(性病)まで持ち込む始末である。と書きながら、この頃の男子は凄まじいの一言に尽きる。私でも耐えられないように思う。

彼女はその後自著の出版の縁で、まだ東大の学生であった出版社の主筆と出奔をする。

新しい恋との出会い。

いわゆる白蓮事件である。

この一件により、彼女は、世間のあらゆる人々からののしりを受け、あざけられた。さらに肉親の全てから絶縁状を突き付けられるのである。

彼女は、貧しくとも、知性を愛し、文学を愛し、純粋に愛に生き、ともに支えあえる配偶者を望んだのだろうと思う。

手紙と逢瀬を繰り返すのであるが、東京と九州だから、新幹線もないだろうし、遠距離恋愛も相当辛い。SNSもない中で続ける恋愛は、互いに情熱的になったであろうと思う。

たくましい明治の女性。

その後彼女はこの男性と結婚をするが、生活自体は苦労を重ねる。

7つ下の旦那さんは、学生時代から結核を患っており、最初の3年間は彼女の筆1本で家族を養い、糊口をしのいだ。

彼女は、家事は出来なかったようだから、相当苦しい生活だったと思う。

この辺りもは、明治の女性の凄さと素晴らしさである。旦那さんを看病しながらの生活である。

太平洋戦争では、息子さんを無くされて、それをきっかけに平和活動にいそしんだようにも書かれている。その後ご主人の結核も快癒され、平和に暮らされたようだ。

それにしても恋愛小説よりもすごい内容に驚いた。

「平塚らいてう」も、ものすごかったが、明治の女性は、本当にたくましくて、素晴らしい。

そうそう、私個人は白蓮(びゃくれん)という名前にも強く惹かれていたのであるが、これは九州時代に本名を隠すために使っていた筆名とのことである。

「日蓮上人」から名前をつけたとのことで、これは少々意外で驚いた。

正直、白いハスの花の清廉なイメージと白蓮が結びついていたからである。

 

 


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