デカップリングとリバンドリングと世界観

<デカップリングとリバンドリングと世界観>

ある資料にこんな言葉が掲載されていた。

人類は産業の発展とともに、その活動を機能と情報とに分離させてきた。これをデカップリングという。あまりにも人の活動をデカップリング、そう機能と情報に分離させると、今度は人間がその活動の目的のために最適な情報を組み合わせていくようなる。これはリバンドリングという。組み合わされた最適な情報の組み合わせと、機能との間のギャップを埋めていくべく、人間は今度はアルゴリズムを創り出していくようになる。

そんな言葉だ。少し堅苦しいので、柔らかく説明していこうか。

最初人間は手仕事をしていた。その手仕事をしていた人間が、次第に道具と機械を発明してそれを利用して利便性を高めていくようになっていった。

道具と機械は進化していくと、ハードウェアとソフトウェアに分離しながら進化するようになる。人間はハードウェアを操るオペレーターに進化するようになる。ハードウェアを操ってソフトウェアで制御させて仕事をするようになっていった。

次に人間はセンサーという道具を手に入れるようになっていく。するとどうなるのか。センサーを手に入れるようになると、ハードウェアとソフトウェアは、より大胆でより微細な動きに応じるようになっていく。少しの力で大きな動力を得られるようになっていくように。センサーで得られる微細な動きに対応して大胆な出力が得られるようにもなっていくように。

さらにここでインターネットというネットワークが登場するようになる。するとネットワークを媒介としてセンサー情報を集めようなどという動きが出てくる。ソフトウェアからは大量のデータが吐き出されてくる。その吐き出されたデータという情報を集めて現実の実体にフィードバックしようなどという動きが出てくる。ここまでくると、最初のうちはハードウェアとソフトウェアとは一心同体であったのだが、データという存在を通して、もっともっとそれらは分離してくるようになる。

さらに時代は進む。上記のようなことが、つきつめて究極まで進化する。するとどうなるのか。

もはや人間はオペレーターという存在でもなくなる。そしてオペレーターというカテゴリーから外れると、また生活者へと回帰するようになる。人間はその活動のために、生活者へと回帰するようになるのだ。そしてそれと共に、ネットワークを介して、ソフトウェアを、大量のデータを組み合わせるようになってくる。

人間の活動をより良く追及して究極まで推し進めていことする力が、人間を生活者たらしめるということに回帰していくのだ。そして、ネットワークを媒介としてソフトウェアを、データを組み合わせていこうとする力となっていくようになるのだ。

組み合わされたデータがより良き世界の姿だと確信を持てるようになると、ネットワークを介したソフトウェアと生産しているハードウェアとの間のギャップが生じるようになってくる。すると、それまで生産されていたハードウェアと、これからの時代のソフトウェアの組み合わせの姿、そうデータの組み合わせの姿とのギャップを埋めるようなアルゴリズムを今度は作っていくようになる。現在の言葉でいうところの、プラットフォームというのを作り出す原動力になっていくようになるのだ。

デカップリングとリバンドリング、2つの動きを通じて人間は生活者そのものと回帰していく。仕事は生活そのものへと回帰していく。人間の生活の目的のために、細分化され分離されてきたきめ細かな機能をもったソフトウェアを、そうそこから吐き出される大量のデータを今度は組み合わせるようになるのだ。そしてそれらデータの組み合わせとハードウェアとの間の齟齬を埋めるべく新たなプラットフォーム、そう、アルゴリズムを開発するようになっていくのだ。

そんな考え方を彷彿とさせる言葉が掲載されていた。

デカップリングとリバンドリングという2つの動きを通じて、人間は生活者そのものへと回帰していく。そうなったら人間はよりよく生きようとする世界観を改めて構築していかなければならないだろう。人間はよりよく生きるための世界観の下、デカップリングとリバンドリングという2つの動きを通して、アルゴリズムを創発して次の行き先を求めなければならないだろう。

よりよく生きようとする世界観である。これが全てを引き付ける要因になる。その世界観の構築如何によって人間の在り方が変わってくる時代になってきたのだ。

資料はさらに続いていた。データ流通という言葉である。安全安心なデータ流通という言葉である。データ駆動型ビジネスという言葉である。

センサーが組み込まれたハードウェアからはソフトウェアを通して大量のデータを吐き出される。その吐き出されたデータを安全安心に流通させる。人間は、その吐き出されたデータを組み合わせて、デカップリングとリバンドリングという2つの動きを、人間の生活者への回帰をさらに加速させるのだ。

情報銀行を中心とした安全安心なデータ流通の在り方。それらが勃興させるデータ中心のビジネス。それがとても重要である。データを中心とした人間の生活。そんなデータ中心の生活が、いつしか人間を生活者たらしめるデカップリングとリバンドリングを双発させて、新たな人間への回帰を促していく。そんなことになるだろうと思いを馳せてみざるを得ない。

データ流通の先にあるのはデジタルツインという存在だ。デジタルの双子。サイバーとフィジカルとに存在する双子である。デジタルツインはデータ駆動型ビジネスの行き着く先である。であれば、デジタルツインは、いつしか人間を生活者たらしめるデカップリングとリバンドリングを双発させて、新たな人間への回帰を促していく。そんなことになるだろうと思いを馳せてみざるを得ない。

人間を中心としたデザイン思考が流行っている。人間が生活者としての人間を取り戻すための一過程として現れた思考方法だ。よりよく生きようとする新たな世界観を構築するためにこの思考法が見直されている。そんなデザイン思考を通して新しいより良い世界観を構築していって欲しい。そんなことになるだろうと思いを馳せてみざるを得ない。

データ流通の究極の行き先は、生活者、人間への回帰である。ありとあらゆるデータ流通の全ての行先は、デカップリングとリバンドリングという2つの動きを通じて生活者としての人間に回帰していく。そう、生活者としての人間に回帰していくのだ。そしてデザイン思考などを通じて得られた新たな世界観の下、人間はより良き生活者としての人間を取り戻す時代になってきたのだ。

以上


おちゃ11