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苦手な人を好きになろうかな

私はなかなか人を嫌いになりませんが、一度自分の許せない領域に踏み込まれると途端に苦手な人になってしまって、挨拶も出来なければ、笑顔も交わせない、出来れば会いたくないと思ってしまいます。残念ながら、そう思う人がごくわずかですがいるのです。

そんな自分の事を「人として何て器が小さいんだろう」と思っています。

思いやりがない人、いい加減な人、他人の心に土足で入ってくる人、人の心を傷つける人だと私なりのジャッジでダメな人の烙印を押してしまって心のシャッターを閉じてしまうのです

そんな私をもう一人の私が呆れています
「もっと大らかな、心の広い大人になったらどうですか」と。

その通りなのですが、一度閉ざした心を元に戻すのはなかなか難しいのです。

こんな風に私が人を嫌っている事が、自分自身の精神衛生上よくないので、好きにはなれなくても、苦手だと思わないようにしようと思いnoteに投稿することにしました


そろそろ私の心のシャッターを開けてみようと思ったのです。

苦手だと思っていると余計に意識して、意識する自分自身が嫌になり、めんどくさくなるのです。
「そんなことは早く取っ払って、フラットに人と接することが出来ないと恥ずかしいよ」
そんな心の葛藤を書いているだけで、私の凍った気持ちが溶けてゆくようです。

私が苦手だと思う人は、きっと相手も私が苦手でしょう。それはお互い様ですよね。
私はもうあの人たちを苦手だと思わないことにします。好きになれないにしても、普通でいようと思います。

あなたももし苦手な人がいたら、今日の私のように文章に書いてみるといいかも知れません。心がほんの少し楽になるきっかけになりますよ

今日は大人げない私の心の内を書かせていただきました。

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《悪い事をいつまでも思わんほうがええわい》


「大分前の話じゃけど、私も嫌いな人が居ったんよ、それがあるきっかけで話してみたらものすごくいい人じゃったんよ、私は何となくは苦手じゃったんじゃけどね

「その人醸し出す雰囲気で話したく無い人もおらいね」

「あんたが言うように悪い事をいつまでも思わん方がええ、思い立ってnoteに書いて良かったがね、私は3回挨拶して返ってこんかったらもうせんのよ

人を嫌うことは罪悪感を持つような気がします。noteに書くことで私の心のシャッターが少し開いたような気がしました。



いさかいの後の侘しさ愁う春

誰しもあるのではないでしょうか、いさかいの後の侘しさを詠んだ句です。私と母も時折、感情に任せて相手を傷つけるようなことを言ってしまって後悔することがあります。
思うことを一度頭の中で考えてから言葉に出せばいいのですが、つい言ってしまうのです。この句を詠んで気をつけなければと思いました。


最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。

また明日お会いしましょう。💗

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