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雑記帖

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日々思い浮かぶよしなしごとを書いた雑文をまとめる雑記帖です。
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2019年10月の記事一覧

オウンドメディアと言わずとも

いつ頃からだろう、「オウンドメディア」という言葉を耳目にするようになったのは。

私は、しばらくこの言葉の意味が分からなかった。なぜなら、インターネット上にワールドワイドウェブ(WWW)が誕生してこのかた、基本的にウェブサイトとは自前でつくるものだったから。

WWWのアイデア自体はしばらく前からあったようだが、実装・公開されたのは1990年である。といってもその頃はまだウェブページは珍しいものだ

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仕事のための儀式

英語でritualといえば、宗教などの儀式のこと。

他方でdaily ritualといえば、宗教に限らず、人が日常のなかで行う……と書いてきて、適当な言葉が思い浮かばないのだが、やはり儀式のようなものを指す。

例えば、これからものを書こうというとき、鉛筆を4本削るとか、部屋の掃除をするとか。

私にもそういうリチュエルがある。

一つは顔を洗って着替えること。そんなの当たり前じゃんと思われるか

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あのなんとかタワー

スカイツリーという名前をうまく思い出せない。

いつも最初に口をついて出るのは「あのなんとかタワー」という言葉だ。

言われたほうも、「え、東京タワーの他にそんな名前のタワー、あったっけ」となる。

どうもあの塔を「ツリー」となぞらえることに抵抗感があるのかもしれない。形だけを見せられて、なにを連想しますかと言われたら、燈台や燭台が思い浮かぶ。

もしかしたら、訪れたことがないのも記憶できない原因

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いつも準備が足りない

よく夢を見る。覚えている範囲でのことだが、私が見る夢にはいくつかのパターンがある。

たいていは見知らぬ土地で、どこかに向かって歩いている。街中や道路などが多いだろうか。巨大な建造物の中のこともある。そんなとき、いつも時間を気にしているようだ。約束でもあるのか、間に合うかしらと考えながら歩いている。

もう一つは、大学で講義をする夢で、それまで一度も担当したことのないテーマについて、準備もないまま

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コートに吹く風

乗る電車を間違えていることに気づくのは、いつも見知らぬ駅の名がアナウンスされる頃だ。読んでいた文芸誌から顔をあげて車内の電子掲示板を見ると思わぬ場所へ運ばれていた。

次の駅で降りて逆方向の電車に乗る。間違えた直後なので慎重に。といっても、以前この調子で幾重にも間違えたことがある。確実に到着するまでは油断がならない。

気を取り直して乗った電車はたいへん混んでいる。ドアのすぐ横のスペースにぴったり

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金沢便り

金沢での用事を終えてから、谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館に寄った。

開催中の開館記念特別展「清らかな意匠――金沢が生んだ建築家・谷口吉郎の世界」を見る。1930年代の東京工業大学水力実験室から始まって、1974年の日本学士院会館まで、代表作を写真と建築模型、それと年譜や関連資料で構成したものだった。

このところ机に向かってばかりいたこともあり、風通しのよさそうな谷口の建築を眺めて、しばらく金沢

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話し言葉と書き言葉

金沢へ向かっている。

日頃どちらかといえば出不精で、用がなければ家で静かにしていたいほうである。このたびも、故あって金沢工業大学へ向かっている。仕事である。

車中は、できればゆっくり小説か詩でも読んで過ごしたい。しかしこれは願望であって、実際には「マルジナリアでつかまえて」という雑誌連載の文章を書いていた。

途中何度か睡魔に襲われて眠る。目覚めると続きを書く。また眠る。ときどき体が寝なはれと

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精神の散歩のように(脱線・本線・試線について)

気ままな散歩のように、心に浮かぶよしなしごとを書いてみる。
私には、そういう精神の散歩が必要だ。

うろ覚えの記憶のまま書くけれど(だから眉にツバして読んでください)、エッセイ(essay)とは、もともと「試してみる」という意味だったと思う。

日本語ではどういうわけか、ちょっと気の利いた面白い文章のような意味で使われることも多いが、硬く訳せば「試論」、試しに論じてみるというのが原義だった。そうい

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バベルの図書館をデスクトップでなんとか

現在のコンピュータでは、表示装置の限られた面積と、記憶装置の(人間からすれば)無際限とも言えそうな容量とのあいだに凄まじいギャップがある。

昔話になるが、1980年代のハードディスクを搭載していないパソコンは、記憶装置もいまから見れば乏しく、限られたディスプレイでそうしたファイルやデータを扱うといってもそもそも量が少ないので苦労は少なかった。しばらく触っていれば、マップが頭のなかに入るような感覚

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合わせ鏡をずらす

人間はときとして合わせ鏡のようなものになる。いつもではない。

合わせ鏡とは、二枚の鏡の鏡面を向き合わせて置いた状態のこと。するとなにが起きるか。

互いに光を反射しあって、どこまで行っても最奥に辿り着かなさそうな、無限にどこまでも続いているような鏡像がお互いに映り込む。

人と話すとき、相手の感情を反射しないようにしたいと心掛けている。もちろん私が勝手に心掛けているだけである。

なぜそんなこと

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文脈を保存したい

わけあって一日中パソコンに張りついて、物理学方面の論文や資料を探し読む日だった。

論文も、ネットで公開されている範囲でとはいえ、かつてに比べれば随分手に入れやすくなった。

検索して、関係がありそうなPDFをともかくダウンロードして開く。閲覧に使っているAdobe Acrobatには、すぐに20、30のPDFのタブが並ぶ。

これもたいそう便利なのだけれど、タブを切り替えながらあちこちつまみ読み

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ご所属は

わざわざ言うほどのことではないのだが(と言いながら言うのだが)、私はかつて所属していた学校や会社のような場所や組織に、ほとんど愛着や関心を持たないたちである。

小学生の時分に二度ほど引越をしたせいか、生まれた土地や住んでいた土地にも、ついぞ「ここが我が故郷」といった感慨を抱くことができないまま大人になった。

だが、そんな私も次のものには所属しているつもりでいる。

・書き込まないと本を読めない

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Twitterのたのしみ

少し前に、Twitterの息苦しさについて書いた。他方で、現在のTwitterには、初期のころにはあまり感じられなかった楽しみもある。

私が使い始めた11年前に比べると、いまでは世界中の各方面の専門家たちのアカウントが増えている。

物理学者もいれば、歴史学者もいる。文学研究者もいれば、経済学者もいる。生物学の専門家もいれば、統計学、化学、美学、数学、言語学、地理学、地球科学、社会学、哲学、政治

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ゲームデザインはこんなふうに

月に二度、ゲームやそのつくり方について講義をしている。

中高生から大人まで、毎回参加する人もあれば、ときどき顔を出す人もいる。昼過ぎの13時半から16時まで、2時間半の講座だ。

このゲームデザイン講座では、そのつどテーマを設定している。今日は「推理型アドベンチャーゲームをつくる」というお題だった。

講座では、はじめにこれについて私から説明をする。そして実際に理解したことに基づいて、めいめいに

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