合わせ鏡をずらす

人間はときとして合わせ鏡のようなものになる。いつもではない。

合わせ鏡とは、二枚の鏡の鏡面を向き合わせて置いた状態のこと。するとなにが起きるか。

互いに光を反射しあって、どこまで行っても最奥に辿り着かなさそうな、無限にどこまでも続いているような鏡像がお互いに映り込む。

人と話すとき、相手の感情を反射しないようにしたいと心掛けている。もちろん私が勝手に心掛けているだけである。

なぜそんなことを考えるかといえば、できるだけ不要不急な摩擦のようなものを減らしたいからだ。そんなことでは覇気が足りんではないか、と嘆かれることもあるが、人生は存外短い。

例えば、人から怒りを向けられたとき、「なんだと!?」などといって激高したらどうなるか。さあ、終わらない合わせ鏡地獄へようこそ、となる確率は低くない。

もちろん、そういうやりとりが好きな人は、そのままおやりになるのでいいと思う(よろこんで相手をしてくれる人があれば、だが)。私はその時間があったら寝ていたい。あるいは誰かと腕試しをするなら、ゲームで勝負したい。

というわけで、誰かとの会話では、合わせ鏡にならないように気をつけたいと思っているのだった。

コツとしては、売り言葉に買い言葉で応じないことももちろんだが、相手の言動に対して、過剰に自分を投影しないことも肝心だと思う。

一時期あちこちで耳目に入った、LINEの既読スルーなどはその好例。チャットに相手から返信がない状態に対して、それ以上の意味を読み込んでも詮無い。

もちろんそれでも人は想像したくなるものだ。例えば「ひょっとして返信がないのは、感情を害しているからではないか……」とか。こんなことを述べている私も、編集者に原稿を送って1週間応答がなかったら、「ああ、駄目だったか……」と想像しそうになるので偉そうなことは言えない。

そんなとき、想像を逞しくする代わりに「人にはそれぞれ事情がある」(©真島昌利)という言葉を思い出すことにしている。

念のために言えば、目の前で解決したほうがよい問題が持ち上がっているような場合はこれとは別である。以上はあくまでも、日常のおしゃべりについての話だった。

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