- 運営しているクリエイター
記事一覧
黒板を使うとなにがうれしいのか
大学などで講義をするとき、黒板がある教室だとうれしくなる。
チョークを使って黒板に文字や図を書くのがなんだか好きなのだった。
たぶん、いくつかの理由が絡み合っている。
ひとつは、話すペースに合っていることがある。場合によっては、PowerPointなどのスライドを使って話すこともある。「これだけは伝えなければならない」ということがかっちり決まっているような場合は、とても便利だ。あらかじめスライド
文芸書を並べるのは難しい
このところ、小説や詩集を、どんなふうに書棚に並べるかについて考えている。
大きな基本方針は決まっている。
・文庫や叢書類はまとめて置く。
例えば、岩波文庫、講談社文芸文庫、新潮文庫、光文社古典新訳文庫、ルリユール叢書、白水社エクス・リブリス、新潮クレスト・ブックスといった本は、叢書ごとにまとめて置くという意味だ。
なぜそうするかといえば、単にシリーズものは並んでいると気分がいいということもある
でもそれは、遠い遠い思い出
中学生のとき、ときどき遊びにいっていたA君の家ではサルとイヌを一緒に飼っていた。
訪れるたび、「今日はケンカしてたりしないかな……」と少しドキドキしていたものの、サルとイヌは特に険悪な風でもなく互いにのんびりしていたように思う。
放課後なんかに遊びに行くと、A君はヴィデオテープに録画されたRCサクセションのライヴ映像を再生してくれて、2人で繰り返し見て飽きるということがなかった。あの声で「愛しあっ
あまり自発的に話さないわけ
子供のころから、よく口内炎ができた。
といっても、子供のころはただただ口の中が痛いというだけで、それがなんなのかも分かっておらず閉口するばかり。
あるとき、親類の結婚式に呼ばれたかなにかでご馳走の出る席があった。当時小学校に上がる前かそこいらの私は、その日やはり口内炎ができていて、母親に口の中が痛いのでものが食べられないと伝えたところ、バナナやらプリンやら柔らかいものばかり与えられたということ
イヤな記憶から離れる
ぼっとしていると、昔のことが思い出されたりする。
そのまま記憶が甦るままにしておくと(そう、どちらかというと、体が勝手に再生しているような感じなのだ)、ときどき「ああ、そっちはあかんよ」と感じることがある。
なにがどうあかんのかは、その時点では分からないのだが、そのまま記憶を遊ばせておくと、かつて味わったイヤな気分(恥ずかしい思いとか苦い思いとか)が甦りそう、という予感のようなものだけが感じら
岩波文庫に(勝手に)帯をつけるプロジェクト#03
さて、なかなか帯をつくり始めるところまで辿り着かないのだけれど、もう一つだけ先に記しておきたいことがある。
なぜ岩波文庫に(勝手に)帯をつけるのか。理由が二つあると言った。
一つは、前回書いたように、岩波文庫の著者別番号のしくみが紆余曲折しているために、古い本だと番号が現在のものと違っていて、棚に並べる際などに不便だから、ということだった。
では、もう一つはなにか。写真を見ていただこう。
岩波文庫に(勝手に)帯をつけるプロジェクト#02
なぜ、岩波文庫に(勝手に)帯をつけたいのか。まだ、その話に辿り着いていなかった。
理由は二つある。
一つは、岩波文庫の変遷に関わり、もう一つは、私の個人的な必要に関わる。まず、前者から述べてみよう。
前回説明したように、現在の岩波文庫には、帯の色による分類に加えて、著者を識別するための番号と、作品を区別する番号が備わっている。
改めて例を示せば、『与謝野晶子歌集』(改版第1刷、1943;第
岩波文庫に(勝手に)帯をつけるプロジェクト#01
私はここ四半世紀くらい、岩波文庫を集めて読んでいる。
(なんでそんなことをしているのかについては、近日公開される別の文章に書いたので、ここでは省略する)
それで早速なのだが、岩波文庫について少し困っていることがある。
書棚に本をどう並べるか、ということに関わっている。
これは、岩波文庫を収めた棚の一部。棚が足りないので、手前と奥の二列で並べている。
といっても、いま考えたいのはそのことでは