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#174 外国人と呼ばないで


こんにちは
ヤギです

忘れられない話

私には忘れられないエピソードがあります。
それは小学校2年生のときに友人の家に遊びに行きました。

すると友人の姉の友達もいました。
その中にアメリカの方がいました。

私の人生の中ではじめて黒人の方と接する機会でした。
その当時のわたしは今思うと最低な子供でしたが
はじめて話すその海外の人に
『え、外国人ですか?』
と何度も聞いていたと思います。

当時の僕は初めての経験だったので
はじめて話をしてみて日本語で話しているし
すげー
と思っていました。

たしかその女性は小学校6年位だった気がします


友達の親から裏で、あんまり外国人て本人に言っちゃだめだよ
と軽く注意を受けましたが当時は気にも止めていませんでした。


外国人と呼ばないで

そのできことがあった数日後に
僕はとんでもないことを言っていたと気が付きます。

それは学校の道徳の授業でした。

何の偶然かわかりませんが、
その日の題材のタイトルが『外国人と呼ばないで』
みたいな感じだったと思います。

内容も先日の私の状況と同じで
日本に来ていた海外の子供が周りからずっと
外国人外国人と呼ばれる…
私から見たら日本人も外国人なのに

みたいな内容だったと思います。
その題材に出てきた女の子(多分)は
外国人と呼ばれるのが嫌でした
どんな気持ちでしょう?

みたいな感じでクラスで話し合ったときに
僕は何も言えませんでした。
だって先日散々、外国人と言ってしまっていたので。

ショックと罪悪感

僕はなんでこんな自分勝手で相手の気持を考えられなかったんだろう
とものすごく反省しました。
そしてこれは僕の中で人を差別してしまっている
事に気が付きました。

もうね、罪悪感の塊でした。
その時は何も悪くないと思っていましたが
実際には彼女は傷ついていたと思います。

それから僕は反省し、外国人
という言葉が嫌いになりました。

安易に人を差別するようなことは言ってはいけない
と思い、それ以降”外国人”という言葉を使わないようにしています。
※このnoteの説明を除く

無意識に人を攻撃しているかも知れない

ここ数日で宗教問題と政治のニュースをよく耳にします。
国葬の話題もそうです。

ですがそれらのニュースに対する考え方を発信するだけで
無意識的に人を傷つけている可能性があるということです。

自分は正義を振りかざし、正しいことを言った
と思っているかも知れませんが、
実際には自分の気が付かないところで人を傷つけているかもしれません

話をする際にこの話なら人を悪く言わない、傷つけないな
と一度考えてから話をするようにしてみましょう!



なんて過去のことを急に思い出したり…
きっと神様があのときの道徳の授業で、
お前はその考えが足りんのじゃ
といいたかったのではないかな。

…そんなことを思ったり。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに
ではまた



#多様性を考える

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