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人付き合いは自分で選べると気づいた時の話

おはようございます🌸
今日は春の嵐。せっかく咲いた桜が心配です。。。
今日は人付き合いは自分で選べると気づいた時の話です。

アダルトチルドレンの私は、昔から人間関係が下手くそ。


周りに馴染めない。
学生時代はそれで悩んだし、いじめみたいなのもあった。
32歳になった今でも、「人間関係が下手くそ」だと思う。

私が「人付き合いが苦手」というと、大体驚かれる。
社交的で、すぐ打ち解けているように見えるといつも言われる。
夫に伝えてもそう言われるから、周りからはそう見えているんだと思う。

でもその打ち解けて楽しんでいるように見える時
大体心の中は
「みんなの中で浮いていないか」
「変なことを言っていないか」
「周りのノリについていけているか」
「嫌われないか」

そんなことばかりが気になっていた。

学生時代の私の周りには、いつも派手な人たちがいっぱいいた。
見た目も言動も。クラスの一軍にいるような感じの子たち。
クラス替えや入学したタイミングで話しかけてくれた子たちとずっと連んでいた。
私はなぜかその集団に絶対いなければならないと執着していた。
そこにいることで、自分の価値を見出しているというか
そこに居られる、受け入れられている自分に価値があると思いたかったのかもしれない。

でも、実際は私とは性質の違う人たちで
一緒に過ごすうちに私の自己肯定感の低さを見抜き、
私が好きなものには否定的であったり、鼻で笑ったり、、
やはり私の両親と同じように私のことを雑に扱う人たちだった。
そして今振り返ると、私自身もとても棘のある言葉を使っていたし
お互いに心地よいコミュニケーションをとるための、私なりの努力はしていなかったと思う。
努力をしていなかったというか、人間関係を円滑にするコミュニケーション方法や言い方を知らなかったという方が正しい。

社会人になり、大学時代の友人たちとは疎遠になった。
毎回信じられない量のお酒を飲みながら、仕事の愚痴、愚痴、愚痴。
同級生や知っている人の噂話。
誰かに彼氏ができれば、スペック披露大会・誰が上か下か。
常にそんなことをお互いが気にしているような風景に見えた。
私はオーストラリアの語学留学を控えていて
楽しみにしていたけど、「今更行ってどうするの?何するの?(何の意味があるの?という意味合い)」という趣旨のことを言われたり。
毎回飲み会でそんな話ばかりをしていた。

そういう付き合いを続けていくうちに、どんどん心が荒んでいった。
集まる時間が苦痛になり、
何のためにお金を払っているんだろう、
せっかくの休みなのにストレスが溜まる一方。。と思うようになった。
そして、コロナが大流行し
一時期流行ったZoom飲みに参加しなくなってから、それっきり。

人間関係は選べるのにね。


過去の話を夫にした時、
大変だったね、人間関係は自分で選べるのにね。と言われた。
その言葉に私は結構驚いた。

「人間関係は自分で選べると気づいたのはいつ頃?」と夫に尋ねると
「記憶がある時から??」との回答に、さらに驚いた。笑
私はそれに気づいたのは25−26歳くらいの時。笑

夫は愛着スタイル的には安定型。
自分の価値を外に求めず、内側に求めるタイプ。
そして自分の価値を一番に肯定できているタイプの人。
学生時代その集団と合わないと感じたら、他の集団に話しかけて仲良くなり
今でも家族ぐるみで仲良くしている学生時代の友人が国内外にたくさんいる。

一方の私は愛着スタイル不安型。
自分の価値を肯定できない、自分の価値を外にあるもので埋めようとするタイプだった。
学生時代自分から話しかけることはできず、話しかけてくれた人と仲良くなる(依存)
人間関係は全て受動的。
私には選ぶ権利がない・選べないと思い込んでいた。
「こんな私と仲良くしてくれる人がいるだけ、ありがたいと思わなきゃ」
「こんな私と仲良くしてくれるんだから、離れないようにしないと、嫌われないようにしないと」
と心の中で思っていた。

そしてコロナ禍の期間中にコーチングを受けたことで
自分の人生でコントロールできない事象もあるけど、
人間関係や自分の人生の選択は自分で決めていい
と思うようになってから
初めて「人間関係は自分で選べる」と心の底から思えるようになった。


アダルトチルドレンはもれなく自己肯定感が低い。

夫との違いを知った時、育った環境の影響の大きさに愕然とした。
当たり前にそう思える心を育てられる環境で育った人は
自分の人生のコントロール感が高い。
自分の心に従うままに、物事を選択し、生きている。

アダルトチルドレンのように、
家庭環境が悪かったり
自分を押し殺さなければ生きていけないような環境で育った人は
人生のコントロール感が低い。
色々なしがらみやたくさんの呪いを心の中に抱え
偏った見方・考え方で世界を見て、
自分で選択できる場面でさえ、選択すること自体を放棄する。


育った環境の影響はとても大きい。


自分が気付ける場面もあれば、気づいていないちょっとした反応の仕方や
咄嗟に出る言葉にも、育った環境の影響は出る。

両親がどういう風にコミュニケーションを取っていたのか
自分は会話に入っていなかったとしても
耳では無意識に聞いていて、
知らぬ間に両親と同じような反応をとっていたりする。

夫と話す時の咄嗟に出る私の反応は、
私の母親のコミュニケーションパターンに似ていると最近自覚した。
母親は父親のことが大嫌いなため、毎回かなりそっけない反応をする。
私も何か作業している時に夫に話しかけられた時の反応が
かなりそっけないことに最近自分で気がついた。

夫に無意識にそっけなく返事をした時
「あれ?これどこかで聞いたことあるな??」
と思って振り返ると、母親が言っていた言葉・言い方とまるで同じだった。
それに気づいてから、
すぐに夫にこの話をして謝り、「育った環境の影響の大きさ」について話し、
無意識にしてしまうことがあると思うけど、直す努力もしているから
そういう反応をしていたら、教えてほしいと伝えている。

気づいて、止める。


自分で「もう止める」と決めたら、やめられる。
一つずつ長い道のりではあるけど、
自分が抱えていた呪いやしがらみに気付けたら、自分で止められる。
私も随分と呪いを捨ててきたけど、
まだまだ気付かぬところに潜んでる。
気づくタイミングで、気づき、自分の選択で止めていくことで
少しずつではあるけど、自分らしさを取り戻していると思う。
小さな1歩が気づいたら、大きな変化になっているから
諦めず、めげずに、気づいて止める。
自分を取り戻すことをこれからも続けていくんだと思う。


ではでは。
まとまりないけど、おしまい。
雨の1日、暖かくしてお過ごしください〜🌸














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