生きる意味

私は人間全体での生きる意味というものはないと考えています。

この広い宇宙の中で人間があくせくと働いていくことははたらきアリが巣を作るように非常に小さな働きしか持たないですし、もしなにか人間の使命みたいなものがあったとしてもそれに縛られる必要はないと思います。

ですが、そこで「私が生きている意味はないんだ」と悲観する必要はありません。今述べたのは人類全体の話です。これからは人間1人1人の個人の話をしていきます。

人間個人の生きる意味は、その個人が決めるものだと思います。何か新しいものを作るために生きてもいいですし、遊ぶために生きていてもいいのです。

そしてそれは複数あっても大丈夫ですし、生きてる途中で変更しても何も問題はありません。

物事は主観で決めるべきなのです。他人から植え付けられた見方ではなく、自分の底から湧き出てくる何かを感じとり、それに従うべきなのです。

ここで気をつけなければいけないのは、それが人類共通の道徳の上に成り立っているという点です。誰かを傷つけたり自分を傷つけたりしないようにしながら主観で行動しましょう。

テレビやインターネットの発達により、多くの人の声が聞こえるようになり、自分の声を聞くことをあまりしなくなってきているように感じます。

本当の主観というものを作り上げることこそが今の社会に、個人1人1人に求められていることだと私は考えています。

そのためにはスマホやテレビから離れる時間を作り、自分と向き合う時間を作ることが必要です。

通勤、通学時間や、風呂に入っているときなど、ぼーっとできるときはぼーっとして、自分の声に耳を傾けてみるといいでしょう。

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