良明@「君は、光だよ!」

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良明@「君は、光だよ!」

ブログ『日本の天命・日本人の使命』 を更新中(10ヶ月で、10万pvを達成)。唯、お金とは全く無縁な、少し硬めな教養系エッセイです。とはいえ、マナブさんを、心から尊敬しています。  中学時代、ケネディ大統領の暗殺にショックを受け、以来、「理想の政治家像」を、探究しています。

最近の記事

私の平野貞夫論【57】

「FB九条の会」での講演からの抜粋【7】  次も、平野氏の言葉です。  それで、問題はですね。今世紀になって、根底的に、世界の構造が変わっ ているんですよ。  つまり、資本主義が、実体経済から離れて、マネーゲームになって、その マネーゲームに限界が来て、ミリタリーゲームになったんですな。  ミリタリーゲームは、いつ、戦争になるか分からん。そして、ここんとこ ろ、北朝鮮問題というのは、完全にアメリカと日本ですね、「新軍事資本主 義」になってるんですよ。  日本

    • 私の平野貞夫論【56】

      「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【6】  平野氏の言葉は、続きます。  さて、私は、憲法の他の条文については、問題があって、いずれ、適切な ものにせないかんと、思っています。  それは、憲法を発展させることですからね。  しかし、憲法九条というのは、絶対に変えてはならないし、世界に発信さ せるために、どうしたらいいかということを考えております。  また、そのことを勉強したのは、「安保法制」の騒ぎからです。  一つは、あの「安保法制」で、立憲主義ということ

      • 私の平野貞夫論【55】

        「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【5】  次も、平野氏の言葉です。  しかし、今後、東アジアの情勢が良くなるか、悪くなるか、分かりません。  けどね、スキッと良くなるとは思えません。 一回や二回の米朝会談(上の写真)で、話がつくとは思いません。 また、「北」が、核を放棄するとも思えません。  しかし、私は、何回か重ねて、何回かトラブルがあって、最終的には、決 着が付くと思います。  というのは、アメリカのトランプは、商売人ですからね。まあ、軍備を拡 充

        • 私の平野貞夫論【54】

          「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【4】  平野氏の言葉は、続きます。  それで、全く別のサイドから、私の所へ電話がありました。 「オマエ、引退して、遊んでちゃ駄目だぞ。 こういう時に、シャンとせえ!」と、言うんですよ。 「すでに、一回やったけど、駄目だったから、イヤだ!」と 申しますと、まあ、特別な人から、特別なお叱りがありましてね。 ”これは、困ったなぁ、中曽根さんにでも頼まないといかん”と思って、村上 正邦(下の写真)の所へ行ったら、何にも言わんのに

        私の平野貞夫論【57】

          私の平野貞夫論【53】

          「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【3】  次も、平野氏の言葉です。  自由民主党で、憲法を、どういう風に改正するかということについて、は っきりした意見を言う人と言わない人がいます。  しかし、いずれにしても、平成24年(2012年)に出された、谷垣・憲法改 正草案(下の写真)というのは、怪文書ですよ。  あれは、非近代国家の憲法です。  弁護士やっている人が、何で、あんなものつくるんですかね?(谷垣氏 は、政治家になる前は、弁護士、兼税理士でした。)

          私の平野貞夫論【53】

          私の平野貞夫論【52】

          「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【2】  平野氏の話は、続きます。  それから、郵政解散(2005年)は、参議院が否決したから、衆議院を解散 するというんでしょう。  しかし、これは、「両院制」に対する違反ですよね。  衆議院が、オレの気に食わんから、政権を解散するのならいいんですけ ど、こんなことをしたら、参議院の「否決権」が無いじゃないですか。これ も、憲法違反です。  この時、私は、引退してましたけど、小沢一郎さんが、あの人、憲法キツ イ(「ひじ

          私の平野貞夫論【52】

          私の平野貞夫論【51】

          「FB憲法九条の会」での講演からの抜粋【1】  「facebook九条の会」という集まりがあります。  同会は、「この国は、二度と戦争をしないと誓った」(上の写真)という 素晴らしいスローガンを掲げています。 (正直、「わが国は」と、強調してもいいのではないかと思うのですが。)  一昨年の4月14日(土)、平野氏は、同会にて、”改憲を急ぐアベ政治の 行方を語る(当時)”という題目で、講演を行いました。  次の文章は、その中から、抜粋したものです。平野氏は、こう語

          私の平野貞夫論【51】

          私の平野貞夫論【50】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【9】  次も、平野氏の言葉です。  とにかく、ボクには、元創価学会幹部から、電話が掛かってくるんですよ。 「沖縄県知事選挙に対する公明党・創価学会(上下の写真)の関わり方は、 異常だ!」と、言うんです。 「それこそ、憲法の根幹を壊すものじゃないか!」と。 「内乱予備罪じゃないか」と、言ってるんです(笑)。 私に、敢えて言ってくる人がいるんです。           (創価学会 東京牧口記念会館)  要するに、沖縄の人が、自分の意思を

          私の平野貞夫論【50】

          私の平野貞夫論【49】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【8】  平野氏の言葉は、続きます。  これは、たまたま私の耳に入った情報ですけどね。 民主党に政権交代する直前に、麻生さんは、辺野古の工事を本格的にやるよ うに指示したんです。  その埋め立ての最初の計画は、大規模なものでした。  でも、石とか石材とか土などが、琉球列島では間に合わないわけだ。  それで、内地から、大量の物を持って行かなくてはならない。 これは、もう、ゼネコンや石材業者にとって、たいへんな「利権」になるわけよね。  

          私の平野貞夫論【49】

          私の平野貞夫論【48】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【7】 次も、平野氏の言葉です。  それは、どういう考え方かと言いますとね。 日本が明治時代に、憲法を創る時に、どこの憲法を参考にしたかと言うと、 プロシア(今のドイツ)の憲法なんですよね。(※平野氏は、こう語りなが ら、目前の紙に、「公定力の理論」という言葉を記します。)  あそこには、皇帝がいたからね。(下の写真は、ビスマルクです:彼は、 「鉄血宰相」と呼ばれ、伊藤博文の模範となりました。)  まあ、日本は、天皇制。 イギリスの国

          私の平野貞夫論【48】

          私の平野貞夫論【47】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【6】 平野氏の言葉は、続きます。  実は、翁長知事の兄さんは、法政大学(上の写真:今日の市ヶ谷キャンパ スです)で、私の一年後輩なんです。 「デートを邪魔する警職法」というキャッチフレーズは、彼とわれわれが創 ったんです。  結構、学生運動をやってましてね。 私が、彼の指導役でね(笑)。  それがねー、この年の前かな、亡くなってね。 それでね、新進党の国会議員に出たいという希望があってね。 それで、小沢さんと、選考に行ったんです

          私の平野貞夫論【47】

          私の平野貞夫論【46】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【5】  次も、平野氏の言葉です。  でも、この合意の後、色々な事がありました。 例えば、女子小学生(12歳)が、米兵たちに、拉致後、暴行されるという事 件がありました。  これを謝罪したモンデール大使(下の写真)が、当時の橋本総理に、「普 天間(基地)を返す」と言ったことが、すべての始まりです。  その頃、辺野古の話が、沖縄の中で出てくるんです。 私と小沢さんは、これは、この「構想」の話を取り戻す絶好のチャンスだと 考えました。

          私の平野貞夫論【46】

          私の平野貞夫論【45】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【4】 平野氏の言葉は、続きます。  それから、ここ(土佐清水市)の足摺岬(上下の写真)は、黒潮が直接、 着岸している、東アジアにおける”海のポイント”なんです。  ここの近くに「今ノ山」という800メートルぐらいの山があるんですが、 今、航空自衛隊のレーダーがあります。  これが、地勢的に良くてね。  シベリアの真ん中からフィリピンまで見えるんです。  だから、空の拠点でもあるんですよね。  弘法大師・空海(下の写真)と言いますから

          私の平野貞夫論【45】

          私の平野貞夫論【44】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【3】  次も、平野氏の言葉です。  当時、社会党も、公明党も、民社党も、この動きに、ひじょうに賛成しましてね。  実は、宮沢政権の時に、予算委員会で、公明党の市川雄一書記長(1935~ 2017:下の写真)と社会党の伊藤忠治議員が、渡辺美智雄財務大臣と宮沢総 理に、日本の資金で、アジアにPKOの訓練センターを作ったらどうかと提案しました。  そこで、アジアの安全というものを、つまり、人々の災害とか紛争を無く していく基地にしたらどうかと

          私の平野貞夫論【44】

          私の平野貞夫論【43】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【2】 平野氏の言葉は、続きます。  ちょっと説明しますと、平成元年(1989年)の12月に、パパブッシュとソ 連のゴルバチョフ書記長が会って、米ソ冷戦が終わりますね(上下の写真)。  そこで、もう、米ソ間の戦争は無いということになります。 そうしますと、日本の安全保障とか政治とか経済の在り方を、根本的に新し い体制にせないかんということを、自民党を中心に考えたわけです。  ちょうど、海部政権の真っ只中です。 海部総理、小沢幹事長という

          私の平野貞夫論【43】

          私の平野貞夫論【42】

          沖縄基地問題の歴史を学ぶ【1】  今回は、「寺子屋ルネッサンス勉強会」の三人の女性たちが、平野氏の自 宅を訪ねたことから始まります。  彼女たちは、近々、沖縄(上の写真)を訪ねる予定とのことです。  その一人が、かつて、平野氏が、「沖縄基地問題の原点を振り返る”民意 の尊重こそ第一義に”」を、月刊タイムズ(2015年6月号)に寄稿したこと に言及しました。  因みに、本稿の副題には、「辺野古の基地建設にみる自民党政治の堕落」 とあります。  まるで、今日の辺

          私の平野貞夫論【42】