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タイムリミットは、近付いている。

本当は、REQUやcoconalaを始めるつもりはなかった。もっと言えば、生き続けるつもりもなかった。今でも別に長生きをしたいとは思わない。
去年から、読みたい本や漫画、CDやDVDが溜まっていた。今でも手を付けられずに、未開封のまま箱の中で眠っている。
それらが終わったら、オサラバしようと思っていた。自分の中で「自分は充分に苦しんだ。これ以上は我慢出来ない。」と思っているから。
「今までの経験を全部纏めて、見せ付けて逝ってやろう」という目論見。それは正直今でも変わっていない。そんな事を書くとBANされるのかも知れないけれど。noteを使用して自伝的な記事を挙げていく。全てが終わった時、自分にやり残した事はない、と。
「悲しい事言わないで」「生きていて欲しい」そう言われるのはとても嬉しい。自分は幸せ者だと思う。noteを始めるより前からを知っている人は、ある程度背景や辛さを知っているから、それでも見捨てずにいてくれる事は、素直に嬉しい。
ただ、単にオサラバするのは残る人達に申し訳なさ過ぎる。簡単にオサラバと言っても、どうしてもその後の手間が掛かってしまう。それに、母親には少なからず借金をしている。去年末に大きな失敗をして、その時に工面してもらった金額。それを全く返済していない。それをバックレるのは、自分が納得しない。借りた物は返す。相手が例え毒親でも、借りた金額は返すのが義理人情。とはいえ、Drストップ中で働く事は出来ず、需給中の傷病手当金は今月末で期限が切れる。そうなれば、何も払えないので、保険から何から解約して、自分の宝物を売りさばくより他ない。
そして去年まで知らなかった事だけれど、障害者年金を受け取れる可能性がある。ただ自分の場合、通院しながらも、一般正社員としてだったり、パートだったり、厚生年金に加入していた時期があった。国民年金の時期と、厚生年金の時期があった。何故か国民年金を支払っていない時期があり、年数が経ちすぎて、問い合わせると「受給時に支払ってください」とのことだった。
それらを鑑みると、社労士曰く「重病化」(だったかな?)という取り扱いになるらしい。それでも「申請する価値はある」と。
ネットでも調べてみたけれど、早い人は申請後2か月、遅くても半年後には結果が出るという。100%申請が通る訳ではないけれど。
そして彼らは言った。「私達で無理だったら、100%無理だと思ってください」と。障害者年金に特化した社労士だから、と言った彼らに、イチかバチかで託してみる事にした。
何度も途中で自問した。担当医にも社労士にも聞いた。その時は既にウイルスが蔓延し始めていたから「本当に受け取って良いの?」と。
もちろんオサラバの事は言っていないし、覚悟が完全に出来ている訳でも、100%成功する保障もない。あくまで描いているシナリオに過ぎない。
彼らはその都度言った「今まで一生懸命働いて年金を払ってきた。車の保険も払ってきた。それと同じだから、受け取る権利がある」と。
2月に契約を交わして、5月に申請した。結果はまだ分からない。何せこのご時世。傷病手当も忘れ去られた時期があったくらいなので、障害年金となれば更に後回しになっていると思う。昨今うつ病が流行しているくらいなのだから、15年以上前に病んだ奴なんか知ったことかくらいの認識をされていると思っている。少なくとも戸籍は働き盛りの年齢の女だ、嫁にでも行って扶養内で働けば良いだろう、副業でもやって稼いで税金を納めろ、というところだろうか。その通りならバカバカしくて笑ってしまいそうだ。誰に頼まれた訳でもない、勝手に病んだのは自分だ。しかも、つい2年前まで働いていたじゃないか。しかもほとんどフルタイム勤務。貯金は、病院勤めの親はどうした。

「雨風凌げる屋根がありますよね?」「あなたは対象外です」

かつて役人にSOSの電話を掛けた時に言われた言葉だ。
あの日の事を、忘れはしない。あの後「〇ろしてくれ!」と泣き叫んだ、ツラい日。その後も起こした、数々の「道の踏み外し」。皮肉にも成長した、生活のノウハウ。そして泣き叫んだ程のセリフは、実際には望んでいなかった本能だと気付いたこと。

毎日こうして書いていても、一銭にもならない。それだけの価値も認知度もないという事だ。趣味で始めたはずのweb日記はブログに形を変え、気付けば「ブロガー」という職が出来て活躍している人達がいた。ただ書くだけではいけない。メンヘラならメンヘラ「らしく」、「痛いヤツ」で、「叩かれるのが有名税」と言ったところか。

「顔面偏差値平均以下」
「顔を見る度に腹が立つ」
「その顔を晒せるだけの精神力はどこから?」
「デブw」
「女装かと思った。これで女かよ」
「REQU、noteを仕事ってw」
「働きたくないだけ」
「さっさと履歴書を書け!」
「○○(知らない人)死ね」

全て実際に寄せられたコメント。
そうか。元々価値がないのか。今更だけれど、ツライと言ったところで何も変わらない。変える事が出来るのは自分しかいないのだから、オサラバする事で変われば良いのか。そうすれば誰も何も言わない。少なくとも、自分には聞こえない。
ここもFacebookよろしく、前向きで明るくて有意義な情報や思考しか認められる事はないんだろう。今までの人達も離れていくんだろう。

無価値なモノを価値のあるモノに変えるには、自分はどう変われば良い?オサラバする考えを辞める?これから年齢を重ねても、薬を飲み続ける?またデトックスして苦しい思いをして寝たきりに戻る?

自分でもどうしたいのか分からない。「何故自分の心臓は止まらない?」と何度も思った。
陰ながら「生きづらい道しか選ばない」と父親に言われていたらしいのだけれど、生きやすい道とは?

言われるがままに中学受験して、大学まで私立のエレベーターに乗って、どこだか知らないが就職して、結婚して、子供を産めば良かったのか?
時を戻せるのはお笑いの世界だけだ。それに自分はそれら全てを拒んだ。小学6年で初めて父親と口論してまで拒んだ。今まで黙って言う事を聞いていた自分が、初めて自分の意見を言った瞬間だった。

書くだけ無駄なのか。「ふーん」「へぇー」の世界か。「面倒臭いけど更新されたからスキ押しとけ」なのか。
少なくとも自分が今まで押してきた「スキ」は「投げ銭も出来なくてごめんだけど、良いと思った記事だよ」という意思表示だったが、どうやら何も伝わらなかったみたいだ。

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