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『邪馬台国世界大戦』より「伊勢の海」#1

【前回】

「時が来たようじゃ」

天の下、海の前、砂の上。黄衣にすっぽり身を包んだ老婆がつぶやく。彼女を車座に囲むのは、黄色い布を被った異様な巫女たち。

三重県、伊勢神宮。この県は近畿と東海のどちらの勢力にも属さず、中立を保ってきた。十三年前の「事変」により、日本国政府は消滅。都道府県が軍事力によって抗争を繰り返す戦国乱世が到来した。心配された国外からの介入は皆無。諸外国もまた、同様だったからだ。

全ては卑弥呼と邪馬台国を巡る論争ゆえ。否、それ以前から国家という枠組みは制度疲労を露呈していた。それにしても、国民を守る存在である国家の消滅は大きかった。多くのコミュニティは崩壊し、無数の命が失われた。人々が求めたのは飲食と、治安の回復。その拠り所となったのは……。

この老婆こそ、新興宗教「太平陽(たいへいよう)」の教祖、「天師」横木キヌ(よこぎ・きぬ)。混乱に乗じて伊勢神宮を乗っ取り、近畿・東海・北陸に信者を増やし、三重県全土を事実上支配下に置く現人神だ。彼女の支配のもと、県は太平を保ち、内外の紛争も比較的少なくて済んだ。誰もが認める事実である。

「天師様。然らば、今我らがなすべきことは」

黄衣を纏い、砂上に胡座する髭面の壮年が、胸を張って天師に尋ねる。この場に男は彼だけだ。天師の傍らの巫女が叱責する。

「控えよ、於菟(おと)! 直に口をきくでないわ!」

「よい」

天師は彼女を手で制し、白い眉の下から於菟をぎろりと睨む。
「おぬしは、天下を望むか」
「はい」
「おぬしに天下はとれぬ。これよりは、卑弥呼様の世が来るだけじゃ。日本は再び卑弥呼様のものとなる。彼女に仕えよ」
「従えませぬな」

於菟はすっと立ち上がり、年少の巫女、十三歳になる己の娘の手をひく。

「ゆくぞ、登代子(とよこ)」

横木於菟。天師の甥にあたる「男弟」。天師の権威と軍事力をもって、県と信者を取りまとめる男。彼には野心がある。娘、登代子を新たな天師とし、新たな世をつくること。キヌは余命幾ばくもない。それはキヌ自身の告げたことだ。しかし、その後を他人に奪われるのは、気に食わぬ。たとえ卑弥呼であろうとも。

「………」

登代子は、普段口を利かぬ。事代主、言代主(ことしろぬし)は、それでよい。唖でよい。彼女が口を開けば、予言しか言わぬ。彼女は告げた。

次は、登代子の世」と。

【続く】

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