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「中国」との相克の戦後史。『台湾のアイデンティティ』家永真幸

タイトルを見たときは、現代台湾事情を中心にビギナー向けにまとめた本なのかなと思いました。家永さんといえば、やはりデビュー作『パンダ外交』のイメージが強くて、身近な話題をきっちりした資料と分析で、政治や歴史の枠にまとめるのが上手という印象だから、よけいに現代にシフトした話だと思ったのかもしれません。

でも、実際の内容は、サブタイトルの「「中国」との相克の戦後史」。台湾や日本の歴史について、ある程度の基礎知識があるか、読書慣れしている人向け。読んでいる途中、家永さんは読者をどのあたりに想定しているのか、何度か悩みました。いえ、選書の内容を新書の値段で提供してもらえるなんて、この上なくありがたいですが。

あとがきをみると、当初の想定読者は大学の学生さんたちだったけど、そのうち、元中国支持の世代(台湾=蔣介石の独裁政権だと忌避していた人たち)に向けても書くようになっていたとか。この本を手にとって、もし、ちょっとよくわからないとか思った人は、先に野嶋剛『台湾とはなにか』を読んで、その後もう一度、家永さんの本を読むといいかもしれません。

家永さんの本は急がば回れで、台湾の歴史と現在を織り交ぜながら話を進めていきます。先住民(台湾では「原住民」)の時代。その後、大航海時代にヨーロッパ人やってきて、植民地にしていく過程で中国大陸から漢族を労働者として移民させ、やがて中国から来た人たちが力を持ってヨーロッパ人を追い出して、清の一部になります。

日清戦争で日本が勝つと、台湾は日本の植民地になり、日本人が敗戦でいなくなった後は、中華民国の軍人たちがやってきて戒厳令をしきます。1949年に大陸で中華人民共和国が建国されると、毛沢東の中国共産党に負けた蔣介石の中華民国政府が台湾に逃れてきます。台湾海峡を挟んで中国と対峙するのと同時に、国内では日本時代を知る人々と、新しく大陸からやってきた人々がせめぎ合う歴史。

このざっくりした流れだけでも、予備知識のない人は1度や2度聞いただけではわかりません。なのに、本書はこの歴史の背景になるアメリカの政治事情や、台湾人の中国大陸へのシンパシー、台湾独立の動きと日本側の杓子定規な対応なんかも、こまめにはさみつつ話を進めていきます。

加えて、単純な「中国vs台湾」や、台湾島内の「外省人vs本省人」の図式も崩しにかかります。例えば胡適。彼は、大陸出身で経歴の上では政府の外交官なんかも担当しましたが、もともと哲学者で思想家で自由主義者でした。だから、台湾独立の運動家がアメリカに留学(=実質亡命)して経済的に困ったとき、胡適が匿名で経済援助したこともあったとか。

中国と台湾は対立しているようで、実は血縁や地縁、思想など見えない(日本人からは見えにくい)部分で底流では繋がっている部分も多いです。日本もそういうときに関わっていたりします。そのことを書いた最初の一般書は、本田善彦『日・中・台 視えざる絆』だったでしょうか。

今では若い研究者が増えて、台湾研究も飛躍的に進みました。家永さんのこの本は、新しい成果を網羅して、台湾を中心とした中国と日本の動きを、ため息がでるほどの読みやすさと濃密さで、再構成しているところがすごいです。

台湾が日本の植民地だった時代についても、研究はかなり進んでいます。例えば、台湾で有名(?)な八田與一という技術者について。彼を慕う人々が銅像を作り、日本が戦争に負けた後も銅像を守ったエピソードがありますが、でも、それは八田個人への親しみや尊敬がメイン。「親日の台湾」とか「反中国」とか、「日本の植民地時代はよかった」というような話とは別物で、日本の灌漑技術が、飛び抜けて良かったという話でもないことがわかっています。

ただ、台湾の政治家は国際情勢の必要や自分の政治的ポジションを維持するために、「親日」のポーズをとって、日本からの注目や支援、好意を引き出そうとすることもあります。例えば、台湾の初代総統(=大統領)の李登輝。植民地時代に生まれで、台湾の国語(中国でいう標準語)より日本語ができる世代。京都大学に留学したほど頭がいい彼の政治的リップサービスは、素直にうけとってはダメですよね。

あと、日本人にはちょっと理解しにくいほどの台湾での安倍元首相人気。これも、中国との対立の中で台湾に「味方してくれた」いくつかの政策やアピールに原因があるとのこと。やっぱり単純な「親日」で片付けてはだめで、当時の台湾の状況をちゃんと確認する必要があります。

個人的には、台湾でものすごく流行ったゲーム『返校』のエピソードがよかったです。『返校』は、戒厳令時代の台湾の学校を舞台にしたゲームで、あまりの人気に映画化され、日本でも公開されました。ものすごく見てみたかったのですが……私はホラーが苦手。映画館で起こした貧血は過去数回。泣く泣く断念した映画とゲーム、そして台湾でのゲームをめぐる事情をこの本で知ることができてラッキーでした。

とまあ、こんな具合に台湾の政治史をメインに中国、アメリカ、日本の外交や人的交流について、膨大な数のエピソードを要領よくまとめて、台湾の複雑さがここまで緻密に書かれた新書。最近、台湾に興味をもったばかりの人や、政治・歴史に興味がない人は挫折する確率高いのではと心配になります。

でも、どんな本でも1冊まるまる理解する必要ないし、興味ある部分だけ読めばいいし、何度か読んでいるうちにわかってきたり、積読していた数年後に役立つこともあるんだし。気になった方は、ぜひお手元にどうぞ。積読は、日本が世界に誇る「翻訳できない言葉」です。

余談ですが、デジタルリマスター版が次々劇場公開されている、台湾の有名映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』や『悲情城市』。この映画が大好きだという人と話したとき、映画の舞台になっている戒厳令時代の台湾について、まったく知らないことに驚きました。知識があってもなくても楽しめる映画は、やっぱり名作。でも、知っているとおもしろさの解像度があがります。

台湾の総統選挙が終わり、これから中国やアメリカなんかの国との関係が動き出します。政治も歴史も複雑だけど、人間がいちばん複雑怪奇。「親日」とか、同性婚の合法化とか、IT技術の活用とか、半導体工場の日本新設とか。台湾のキラキラ部分や中国との対立以外も知りたい方は、ぜひ手にとってみてください。



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