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南からみた衝突と融合の三〇〇年『越境の中国史』菊池秀明

日本に来る中国人観光客が増えても、日本人には中国と台湾、香港の区別が難しいです。ましてや、中国大陸の南と北の文化の違いなんて難しい。中国は北京が中心で、統一された大きな国のイメージが強いです。

でも、ヨーロッパのいろんな国がすっぽり入ってしまう大きさの中国。北京を中心とした地域では、草原や砂漠の民族が入れ替わり立ち替わり、南下をくり返して文化が融合し、中華的な世界になっていったようです。森部豊先生の『唐』も、そんな古代中国北部の変化をおもしろく紹介してくれています。

なら、中国の南はどんなところか。それは、中国北部の戦乱や飢饉を逃れて、たくさんの人たちが南下する場所。地名でいうと、福建とか広東、江西、雲南、貴州省あたり。先住民を押しのけ、土地を取り上げて(騙して)豊かになる人たち。あとから来てうまく行かなかった人たちは、そこから台湾や東南アジアに広がっていく場所。

中国ドラマ『家族の名において』は、舞台が福建省のアモイ。福建は台湾の対岸で、華僑(overseas chinese)の故郷。ドラマでも、シンガポールに親戚がいたりとか、海外に留学がわりとナチュラルに話題になってました。もし、北京が舞台のドラマだったら、脚本はかなり変わっていたはず。

余談ですが、菊池先生の本の雲南の記述を読むと、清朝が舞台のドラマ『瓔珞』のことも少しわかります。ベトナムやミャンマー、タイに近いこの地域にはいろんな民族が住んでいて、常に清朝に反乱を起こす場所として描かれ、傅恆(フホン)が軍を率いて遠征した辺境でした。

フホンの戦死は雲南の瘴気(しょうき)が原因。瘴気といえば、日本人は『風の谷のナウシカ』の腐海を思い出します。でも中国の瘴気は、湿度や気温が高くてマラリアになりやすい状態を指す言葉とのこと。つまり、フホンはマラリアに罹患しつつ戦争を指揮して亡くなったということだったんですね。

昔の日本が長子相続なのに対して、中国は兄弟が均分相続。せっかくお金持ちになっても、息子たちに平等に分けるので二、三代であっという間に普通の家になってしまいます。だから、親戚がお金を出し合って塾をつくり、一族の子弟を勉強させ、定期的に科挙に誰かを合格させ、役人にならせて一族に便宜をはからせる。でも、南の人たちがどれだけがんばっても、北の地域にはかないません。

南からみる北京は常に遠い存在。厄介事は押し付けられても、保護してもらえるわけではありません。だから南では自衛が基本。信頼できるのは血縁関係だけ。一族で村を仕切る感じとか、一族で武装して抗争するとか、実話ベースのドラマ『破氷行動』なんかでじっくり描かれているので、イメージしやすいかもしれません。

北京が遠いのと対象的に、南は海を超えた欧米やイスラム世界とつながってきた長い歴史があります。近代になると、海外への移民やキリスト教宣教師の活動、その影響を受けた太平天国の乱など。海外の知識を得たり、留学をした人たちが改革を求めた場所でもあります。一番有名なのは広東うまれの孫文で、ハワイの叔父を頼って一時海外生活をした後に、香港に戻って医者の勉強をし、やがて革命に身を投じていきました。

中国南部は、台湾との関係もとても深いです。以前、ニュースで読んだのですが台湾の原住民はポリネシア系で、研究者の調査ではニュージーランドやオーストラリアなんかの原住民と遺伝子が近いそうです。大昔、海を渡り歩いた人たちの末裔なんですね。大航海時代にはポルトガル人も台湾にやってきました。

その後、台湾には中国の福建省側からたくさんの人がやってきて、お茶や樟脳、サトウキビなんかの産業を独占し、原住民たちを山に追いやります。日清戦争に勝利すると日本人がやってきて、第二次世界大戦に負けて引き上げていきました。1949年には蒋介石とその政府が台湾にやってきます。台湾は常に人が移動する島なのです。

最近は、台湾や香港を中国とは別の歴史で描く本もいくつかありますが、これらの地域の人の移動で結んで描いた本は菊池先生が初めてで、とてもおもしろいチャレンジだと思います。政治的な枠組みが、必ずしも人の生活にマッチするわけではないことがわかります。

詳しく紹介されている事例は、清の時代のものなのでちょっと難しいかもしれませんが、わかるところだけざっくり読んでもOKなのが気ままな読書。手に取りやすいソフトカバーですので、興味ある方はぜひ!


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