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わくわくする中国古代史。『唐ー東ユーラシアの大帝国』森部豊

中国がものすごく栄えた時代のイメージがある「唐」。7世紀頃から、ざっくり300年近く続いた王朝です。最初の頃は、今の中華人民共和国よりも狭い、黄河流域中心(雲南を除く)「中国本土」だけでした。その後、モンゴリア(蒙古)、マンチュリア(満州)、東トルキスタン、西トルキスタンまで支配圏に組み込んでいきます。

評判の森先生のこの本は、多くの部族や民族が行き交う東ユーラシアの国際的な「唐」という国と時代を教えてくれます。遊牧民的な「唐」と農耕の漢民族的な「唐」。8世紀のチュルク人が残した突厥碑文には、古チュルク語で「唐」のことをタブガチと読んでいて、これは「拓跋」がなまったものだとか。

隋や唐の国境(辺境)には防衛の前線基地がありました。ここを拠点とする鮮卑(騎馬民族)系の軍人集団と漢人有力者が手を組んで、唐の政治を動かしたそうです。隋を滅ぼして、唐をたてた李淵もここの出身だそうですが、その後の歴史の中で、一族の出身を名門のように書き換えた形跡がみてとれるそうです。

皇室の出自だけでなく、隋や唐の王朝には周辺の遊牧民族の特徴がちらほら垣間見えます。例えば、唐の王府の「庫直」という役職は鮮卑語に由来する名前で、役割的にはのちのモンゴル帝国の「テシクテン」に類似するとのこと。こういう民族や時代を超えた話は、読んでいてわくわくします。

唐の政治に遊牧民が大きく関わっていたとなれば、当然交易だけじゃなくて、通婚もあります。そういう個人的なことがわかるようになったのは、中国で開発が進んで、たくさんの遺跡や墓が発見され、墓誌が発掘されたおかげだとか。一般の人の目にふれる石碑じゃなくて、地中に埋める墓誌には個人的なプロフィールが掘られていて、石碑みたいに業績を誇張アピールしたり、盛ったりしないところが重要なのだとか。

とはいえ、分野によっては墓誌出土大量しすぎて、未整理の墓誌が山積みで、全てを解読できないという研究者の悲鳴があがっているそうで。全ての時代の全ての人に墓誌があるわけでもないですし。このあたり、なかなか難しいですね。

草原や砂漠の国境はいくらでも変更可能なので、マンチュリアやモンゴリアだけじゃなく、中央アジアや西アジアからも人が唐へ移動してきます。チベット帝国とウイグル帝国が衝突したことで、チュルク系の沙陀などの部族が東トルキスタンから中国にやってきて、社会が大きく変化した唐。ユーラシア大陸は大きいので、変動もダイナミックです。

玄宗と楊貴妃で有名な「安史の乱」も、遊牧民との関わりの中で起きた大きな社会変動。その後、唐朝の国力は弱まったことで、国際的で多様な価値観の唐という国で、だんだん排外的な「華夷思想」が形成されていったという話は興味深いです。そして、一口に「唐の時代」といっても、安史の乱の前後でかなり状況は変わるとか。

日本でも話題になった長安二十四時のドラマを思い出すと、確かに国際色豊かで、ゾグド人たちも暗躍していましたっけ。

森先生の本は、最新の研究成果をコンパクトにまとめた本なので内容も豊富。最初から読んでもおもしろいし、途中の興味があるところから読んでも楽しいです。個人的には、パリとサンクトペテルブルクにある敦煌文書の断片をつなぎ合わせて解読したら、9世紀前半にウイグル帝国とチベット帝国と唐の3つの国の間に講和条約が結ばれていたことがわかった……みたいな部分が大好き。

あと、9世紀の「黄巣の乱」が広州に攻め込んだとき、当時の南海交易の窓口だった広州城にはアラブ系やイスラム系のムスリム商人、インド系、マレー系商人がいて、世界史的にも影響があった話もイメージがふくらみます。海も草原も、人が自由に行き来できる空間で、それは今も昔もかわらないのですよね。

皇帝をめぐる人間関係は、どの時代でも若干ややこしいですが、夏達の『長歌行』が好きな人は、第一章の「玄武門の変」とその後だけでも読む価値ありです。懐かしい名前がいくつも出てきます。





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