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『踊る大捜査線』エッセンスも楽しめる密室殺人ミステリー『厳冬之棺』孫沁文

最初のページからひきこまれる、一気読み必至の良質なエンタメです。文章のテンポがよくて、構成も上手いので、ただただ、密室殺人が楽し……..じゃなかった、次々展開される密室殺人のミステリーを読むのが楽しいです。訳者は安定の阿井幸作さん。

まず、主人公の優秀な梁良(リャン・リャン)刑事が「織田裕二似」ってところでニンマリ。なんせ、『踊る大捜査線』リアタイ世代ですから。織田裕二の役って優秀だけど、それ以上に熱血さの方が印象に残っていますから、リャン刑事が「署内の人間関係を大事にしている」云々の描写には、「え? 青島刑事ってそういうタイプだったっけ?」と記憶をひっくり返してしまいました。すでに、作者の手のひらの上です。

作者の孫さんは上海人。ミステリーの舞台も上海。中国の中でもちょっと特殊な上海は、日本の文化がすごく近いです。ヒロインは地方から出てきた新人声優の鐘可(ジョン・カー)で、色白で近視の丸メガネ、亜麻色のくせっ毛という描写。美人じゃないけど、かわいい雰囲気なんだろうなとわかります。

ジョンが巻き込まれるのは、上海の古い豪邸の連続密室殺人事件。中国の伝統的な(今でも続く)女子殺し(間引き)とか、かつては被害者だったのに、年をとるにつれて加害者の側になる大奥様とか、そういうもの以外あんまり中国的要素がなくて、物語はさくさく現代的に進みます。

しかも、最初主人公だと思っていたリャン刑事が実はワトソンで、途中から本当の主人公が出てきます。それが、売れっ子漫画家の安縝(アン・ジェン)。彼はミステリー作品が大人気の漫画家で、リャン刑事とも知り合いで密室殺人に詳しい警察のアドバイザー。

なんで、漫画家が密室殺人に詳しいのかといえば、現場を3点描写で描くので不審な部分を見つけるのが得意っていう説明、ものすごく説得力あります。この作品は、要所要所に密室の見取り図がはさまれるので、記憶力に乏しい私にはありがたいです。あと、彼のモンタージュ画は人間観察を含めるから、AIよりも正確度が高いっていうのも納得です。

アニメ化も決まって超多忙なアンは、最初、リャン刑事からの協力依頼を断ります。でも、絶対に妥協できない自分の作品のヒロインに選んだ声優のジョンが事件に巻き込まれて、解決しないと安心して作品に出演できないと後ろ向き。それどころか、声優を辞めて田舎に帰るとまで言います。そこで、なにがなんでもジョンに出演して欲しいアンが、前言撤回して事件解決にしゃしゃり出るというわけ。

作者の孫さんは密室殺人の短編小説をいくつも書いていて、本書が初の長編ミステリーとのこと。おかげで(?)次から次と展開する密室殺人が、どれも意外でおもしろいです。

そして、超人気漫画家のアンと有名編集者の組み合わせを、伝説の「手塚治虫と栗原良幸」さながらと表現したり、アンの携帯の音楽が『踊る大捜査線』のテーマ曲だったり。要所、要所で日本人が笑えるポイントがあるのも、なんだかミステリーと違った部分でおもしろい小道具になっています。

個人的には、中国のSNS社会を表現した次の一文がいいです。

情報伝達が発達したこの時代では、どんなニュースも注目の的となる。事態が進展するにつれ、ネットでは陸宇国の生い立ちや陸家の歴史を掘り下げる者が現れ始め、あるサスペンス作家にいたっては新作予告の発表で陸家の殺人事件を小説にすると名言した。だがその作家の薬物スキャンダルがたちまち明らかになり、世間の関心はただちにその哀れな作家本人に向けられた。しばらくすると陸家の事件に注目する人は減った。これこそネット時代の一番おもしろいところかもしれない。明日と次の話題のどちらかが先に来るか、誰もわからないのだ

孫沁文(阿井幸作訳)『厳冬之棺』78頁

翻訳者の阿井さんによると続編もあるらしいので、楽しみに待ちたいです。




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