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人を操作する manipulation

会話において相手に「操作されている」という状態は良い印象がない。それは原則としてイヤなものである。例外として、これらを好意的に解釈できるときは「リードしてくれている」「案内してくれている」と感じるものだが、それは誘導される側が自分にとっても有利になる目標へ向かって誘導されていると感じられるからだろう。そうでない場合、おそらく相手の有利な目標か、もしくは自分にとって有利不利のわからない得体のしれない目標に向かって誘導されていると感じて不安や恐れ、反発を感じる。これが悪い印象を与える理由になるだろう。

例えば、よくあるのは「土曜の夜は空いていますか?」という漠然とした質問である。これは、一方的に情報を先によこせというメッセージとして読み取ることができる。そしてそれは自分にとって不利である。なぜならば、仮に土曜の夜が空いているといったら、そこでどんな勧誘をされるかわからないからだ。すなわち、勧誘された場合、自分にとって多少好ましくない提案であっても先に「空いている」と言ってしまったため、ことわりにくいからである。

例えば、会話のさしすせそである。これは使いやすいあいづちの頭文字を取ったもので、異説はいろいろあるが、「さすが!」「しっかりしてますね!」「すごい!」「センスありますね!」「そうなんですね」といった無難だったり相手を抽象的にほめそやす言葉を集めたものである。もちろんこのようなあいづちは自然なあいづちと重複するものであるが、あまりにも「さしすせそ」ばかり多用する相手には「あしらわれている」という印象を持つこともあるかもしれない。なぜならば、そうした相手は自分から具体的な話題や連想を出してくれないからである。

例えば、反省を求められた相手が軽く謝罪してからすぐに「また近いうちに飲みに行きましょう!」などと言う場合も見え透いた「操作」を感じるかもしれない。なぜならば、会って話せば険悪なムードの相手、自分に対して好ましからざる印象を持っている相手を懐柔(かいじゅう)できるはずだという意図を読み取れてしまうからである。これがよくない印象を与えるのは、実際に会って話して飲めば関係改善するのは事実かもしれないが、だからといってその程度で指摘して反省を求めた案件をチャラにできる考えているのか? 自分の指摘をナメているのか? と相手に思わせてしまうからである。

最初から明らかな職場などでの上下関係があって、自分は誰それの指示や命令にしたがうものだと規定されている場合には、それが多少遠回しな表現だったところでさほど気にならないのだが、一応上下関係が設定されていないような、お互いに対応な大人という関係において、一方的に操作されたり、あなたには他の人と違ってこの程度の対応で十分満足してくれるだろうと思われたりするのはイヤなものである。

冒頭述べたように、その操作あるいは誘導が相手にとっても有利なものであれば、好意的な解釈を得られることもあるのだが、そもそも実際に相手にとって有利であったとしても操作的に捉えられた途端反発を招くため(そうでなければ、例えば「悪いことはいわない!」といった予防線の言葉はなかっただろう)、ここで相手に反感を与えるかどうかは微妙な分かれ道となっている。

(1,347字、2024.04.11)

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