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マインドマップ演習3:『〈権利〉の選択』

『〈権利〉の選択』を少しずつマインドマップを使ってlearningしていく。

第二章を読んだ後。rightの思想に対して、個人優先主義や原子論、危害原理、功利主義や共同体主義との比較がおこなわれた。


西洋思想の流れの中で、rightの思想はロックの原子論を背景とする個人優先主義ではないかと批判される。ロック自身は新大陸の資源制約の無い状態を前提として個人が相互に不可侵でいられる前提をおいていたが、実際にはそのような前提は成立しにくい。一方、個人の利益が制約されるのは他の個人に対して侵害を加えない限りであるとされるが、個人の利益は全体の利益(共同体の基盤に関わる共通利益)と切り離せないため、個人の利益と全体の利益とは相互補完的になるかたちで調停することが可能である。したがって、rightは個人優先主義または原子論でもないし、全体の利益を優先して少数個人の利益を一方的に圧迫するものでもないと説明される。一方、そのような個人の利益が全体の利益につながるような「市民社会」は権利における個人の形式的平等をもたらす一方、実際には稼げる個人と稼げない個人の能力格差があるため、実質的あるいは帰結としては不平等を招いてしまうことになる。

書き直し。個人の利益と全体の利益が調停された市民社会は個人と個人とが相互承認をおこなっている空間であり、それは<権利>が通じる空間、すなわち<法の支配>が樹立された、内部構造を持った空間である。


rightにも「法」にも自然性の側面と人工性の側面があることを明示した上で、個人の利益を守る力について第二章で分析されたとみて、それらを個人的利益vs全体の利益として切り出した。個人的利益の思想は原子論的個人観・資源制約なし・対立深刻化などの特徴づけを持つ個人優先主義である。一方、全体の利益を重んじるのは共同体主義や功利主義であるが、これらは少数個人の利益を圧迫するものとしてrightの思想と対立するとみなされることが多い。しかし、個人の利益を増進するためにも全体から個人に対して福祉や医療のかたちで一定の強制が正当化されるとして、両者が調整され、それはヘーゲルにおいては市民社会であり、個人が相互に承認された空間である。このような空間とは<権利>が当然のものとして成立した空間であり、この新しい空間の中では権利は普遍性を持ち、基礎的(無前提的)である。しかし、同時にこの基礎は<法の支配>を前提とするが、この「法」が果たして自然法なのか、実定法なのかは明らかではない。ただし、現実には憲法などの実定法に権利が明記され、人工的に権利の空間が設立されて法的な議論の基礎を提供しているとみることができる。

参考動画

学習のためのマインドマップの3段階

(1,136字、2024.07.25)

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