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秘密の暴露と卑屈と魔性の言葉と暴論

 これは私の卑屈さから来る偏見じみた考えである。
もう一度言うがこれから話すのは私の性格が故の暴論である。

ぼんやり私の考えに目を通してくれればありがたく思う。


「誰にも言わんといて」
この言葉が出てきたら私は身構える。
私はそれが出てきた場で碌な結末が訪れた記憶がないからだ。

「君だけにしか言わない」 「お前らだけだ」等と耳触りの良い甘言を前提に置き、本来絶対に言ってはいけないような秘密や人の過去の汚点を話す。その場が盛り上がるようにありもしないことを一つ二つ盛るかもしれない。そして散々秘密を暴露したあげく、ここぞとばかりに 「誰にも言わんといて」 と発言し内密にするよう蓋をする。

何か最後にそう一言付け加えるだけで暴露した罪がなくなる免罪符だと思っているのだろうか。実際口が軽い人種が多用していることはそういうことだろう。
この言葉を使うだけで秘密が漏れないように注意を促したという事実の獲得と、広まった場合お前らのせいでもあるという責任転換もできるとでも思っているのだろうか。便利な言葉だ。

実際に私も場にいただけで、秘密どころかそれが漏れた罪までも共有され交友関係に確執が生じたことがある。
どうやら秘密を共有され知っているだけで罪となるらしい。
いきなり爆弾を渡され一緒に死んでくれと言われるようなものだ。


つまりそれだけその言葉が便利であり、秘密の共有は罪の共有になり軽減にもなるのだ。
だからみんな使う。言ってはいけない事をペラペラと周りに話す。噂が噂を呼び独り歩きをし、ありもしないことまでも付け加えられる。「誰にも言わんといて」そう言うだけで許されるのだから。

 私の卑屈な性格から来た些か偏見じみた主張は、他人には理解されることは難しいだろう。私もこのような暴論は完全に理解されようと思ってもないし、理解しなくてもいいと思う。
 
しかし秘密を暴露し合う場に碌な結末は迎えない。これは絶対だ。
仮にそのような場に居合わせてしまったら、一層立ち回りに気をつけるべきだと私は言いたい。


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