人はパンに希望を‥「アフリカの少年」
麻婆豆腐でながい・・しろ
ジブチの中華料理店ので一番安くそれでいて美味しい
そんなお店がヘロン地区(日本大使館周辺)にある。
【長城飯店】は中国人夫婦が営む小さなお店だ
夫婦は四川省出身で四川風麻婆豆腐が絶品
辛さは名前のとおり四川料理・・・
麻婆豆腐は安価でも
ビール大量消費で・・・つり合いがとれる。
エチオピア産ビールの値段はケンピンスキーの
五分の一(一本400円)この国で一番安い酒代だ。
麻婆豆腐と4本のビール代がホテルのビール一杯と
同じ料金とは・・・物価とはなにが基準か?
アタマを抱える。
中華料理を中東各国で食べたが麻婆豆腐の辛さは
長城飯店が一番だ。
痺れ具合も加わり最強麻婆豆腐だ。
暑さが吹っ飛ぶほど汗が流れる料理は
夕方になっても気温が下がらない酷暑期の
ジブチに持ってこいの料理だ。
日本の街中華並みに量もタップリで
心もお腹も見たされる料理は、冷房で体を冷やすより
確実に・・・健康的に体を冷やすことができる。
ただし四川料理である。
舌が感じるより実際の辛さは強烈で
消化器系末端は確実に打撃をうける。
身体の保全を考えるなら麻婆豆腐は一皿だけで
やめる方が賢明だろう。
ビールで水分を取り過ぎ
酔いもそれなりに回ってきたので
意識を正気に戻すべく
ホテル周辺の住宅街を散策した。
この国で高温期に夕涼みという酔狂な趣味はない。
ジブチで用事なく屋外を歩く人は皆無である。
30分ほどのブラジブチ
「そろそろホテルへもどってプールで涼もう」と
住宅街を戻りかけると道沿いのKIOSKで
小学校低学年と思われる男の子二人組が
フランスパンを購入していた。
児童は身なりからそれほど貧困でないようだ。
ただし贔屓目に見てもお金持ちの子供ではない。
洗いざらしのTシャツ、半ズボン姿だ。
小生は、コンビニほどの広さの店内で
豊富と言えない商品をなんとなく眺めていた。
すると彼らが日本語で
「こんばんは」と話しかけてきた。
なぜか日本人とわかったようだ。
ジブチ国内の小学校の一部には
JICAが派遣した先生がいる。
カタコトの日本語を話す小学生や中学生に
時折でくわすのはそんなに珍しいことではない。
すると小学生男子が
おもむろに一本のパンを差し出した。
英語で
「お腹すいているでしょう、一本あげる」
と言っている。
夕食を済ませたばかりで、あいにく満腹だ
しかし、彼らの小遣い稼ぎになればと
小銭で200DJF(約150円)差し出した。
しかし彼らは
「お金なんかいらない一本食べなよ」
と身振り手振りで小銭を受け取らない。
通りすがりの日本人に
自分たちの大事な夕飯をわけ与えてるというのだ。
あとで親御さんに叱られるんじゃないかと
余計な心配をした。
一緒にいた同僚は最初は何が起こっているのか
呑み込めずにいた。
子供たちが自分へパンを施している事実を知った
予想外の事態に愕然として次第に涙目になった。
【人はパンのみに生きるにあらず】
パンは丁重に辞退した。
拙いフランス語で
「夕飯はたべたのでお腹が一杯だよ」と話し
せめて小銭だけでも渡そうと何度も差し出したが
結局受け取ってくれなかった。
食後に散歩する習慣のないジブチでは
夕方にKIOSKでパンを眺めているのは
お腹の空いた貧しい人間なのだろう。
折角の好意を断った私たち
心より優しい少年たちのほうが
立派な人間と感じた。
少年たちは何度も振り返りニコニコと
手を振りながら薄暗い住宅街へ消えた。
彼らとの出会いで酔いは一気にさめたが・・
酒よりも強烈な酩酊感が全身をまとい
心地よい夢となって数日間
「こころがふんわりとした」
こんな心尽くしのプレゼントはその後一度も
貰えていない。
おそらくベンツの新車を貰っても
この時より感激は薄いだろう。
これほど爽快な気分を二度と味わえないとは
「フランスパン・・・もらってたべたら
どれほど美味しかったのだろう」
その後何度か
「美味しいフランスパンの夢を見た」
誰かにこの気持ちをおすそわけしないと
少年たちに申訳けない。
【人はパンのみに生きるにあらず】
とはこんな場面のことだろうか。
アフリカでも物乞いは多い。
ヨーロッパ人の観光客は
乞食の少年少女を完全に見下している。
彼らが乞食にならざろう得なかった理由は
フランスやイギリスの先祖が
この国を植民地にした因果なのに・・・。
本当に欲深いのは私たちだ。
自分たちの文化と異質性が際立っている点だけを
ブログで発信する旅行者には
本質は見えていないのだ。
私もそういう人間だ。
一番大事な人間性への理解が不足している
【小遣い稼ぎの少年】と見下した
悲しい人間なのだ。
誰かに親切にすることは
お互いを尊重するからなりたつ。
困っている人を助けることに
文化の差や貧困の程度はまったく関係がない。
【持てる者が持たざる者へ施す】
イスラムが特殊なのではない。
イスラムの喜捨文化に限らず
ボランティアは世界中で行われている。
余裕のある者が貧者を助ける。
洋の東西を問わず人間の美徳だ。
【お腹が空いている人に自分のパンをわけ与える】
そういう気持ちで誰かに接したことが
過去の自分にあっただろうか。
それ以来心の隅にずっとに引っかかりが残っている。
原始共産主義的な人間本来の互助精神に
自分が初めて出くわした経験だ。
日本国内ではそういう状況は災害派遣などの
過酷な状況でしか起こらないのかもしれない。
ジブチでは同僚やJICAの隊員
似たような体験をしている。
この国の本質が少しわかったような気がした。
自衛隊にはジブチ経験者が大勢いる。
毎年艦船や飛行機を派遣しているので
5000人を超えるアフリカ勤務経験者を
抱える日本では稀有な組織だ。
帰国後
【子供から飴玉をもらった者】や
【自宅へ食事に招かれた者】そして
【パンを一緒に食べた】隊員までいた。
誰もお金をくれとは言わなかったようだ。
食糧がいつでも手に入る日本で
安全に暮らしている私は
「彼らより幸福」
だと断言できるだろうか。
小生は
食糧や安全が不安定な砂漠で暮らす元遊牧民
より快適な生活を送っている。
しかし日本国内で
【残り少ない食べ物を他者と分かち合う】ことや
【自分の分を他人へあげた】経験はほとんどない。
唯一の経験は
「東日本大震災発災日・・東京駅ホーム下の通路で
若い子供連れの夫婦にあげたおにぎり一個だけだ」
ジブチの人々より物質的に恵まれている日本人は
なぜ?「幸福が実感できないのだろう」
幸福と不幸の尺度は個人差が大きいからだろうか?
紛争・貧困と自殺
ジブチ国内では紛争はそれほど多くない。
経済的な状況は年々改善されてきた。
しかし貧困で亡くなる市民はゼロではない。
内戦は収まっているが
テロの危険性が根絶されたと断定はできない。
世界一暑い国なので行き倒れになる人も時々いる。
しかし統計的に自殺者はほとんどいない。
人間は便利で快適な生活を求め
自然景観を自分たちの都合で改変した。
都合のよい文化景観を地上に創出したのだ。
しかしその人間が作った文化の一派は
【現代の複雑で高度な文明社会】
を自ら否定し【過剰な快適性は悪】だと
批判している。
便利で安全・快適な屋内よりも
不便な屋外でのキャンプに人気が集まっている。
定住化によって失われた人間本来の野生へ
回帰することに魅力を感じているのだろう。
午前・午後登下校するジブチの小学生は
日本の子供たちより明るく輝いて見える。
その原因は
【日本の子供たちの将来を大人が不安に思っている】
からなのだろう。
日本の将来に
【不安ばかりをあげつらう】
マスコミの発信に惑わされている悲しい国民だ。
日本人の大半はジブチのような発展途上国より
物質的・経済的に恵まれた生活を送っている。
将来の日本は幸福だろうか?
その不安ばかりが去来する。
しかしそれは杞憂におわるだろう。
日本の子供たちは図々しいほどたくましくなっている。
ネット社会に鍛えられているからだ。
大人が思っているほど将来を悲観してはいない。
自分の不安感で子供を見るから不幸が始まるのだ。
テレビよりYoutubeを見る大人が多数派と
なるのは時間の問題だ。
若者世帯にはそもそもテレビがない。
視点が歪んでいるのはほかならぬ大人だ。
マスメディアに毒されない若者が多数派になれば
メディアの本質が変化するのだろう。
それともマスメディアが消え去るのか。
答えが出るのは遠い未来のことではない。
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