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ウエクミ対談シリーズ:竹中香子&太田信吾【後編】いろんな仕掛けは、誰のため?

【前編】観た後に感想が止まらない!

『道化師』の仕掛け…ネタバレ注意!

上田:ところで、『道化師』の本編の前、まだ客席も明るくてオケがチューニングしている間に、まだ役に入っていない私服の歌手やダンサーが出てきて、小道具のセッティングをしている演出があったの、覚えてますか?

『道化師』本編前 ©2/FaithCompany

竹中:うんうん、休憩の後ですよね。

上田:そう、あれの意味…あの場面が作品内でどういう意味を持つかって、わかりました?

二人:・・・・(沈黙)

太田:作品をこれから立ち上げるぞっていうプロセスを見せてるのはわかりましたけど、全体の中でどういう意味かは…

上田:やっぱりわからないですよね(笑)みなさんに聞いてるんですけど、なかなか気付かないみたいで…あ、ここからはネタバレなので、知らずに見たい人は注意です(笑)。あれって、私服や楽屋着のままかぎりなくキャスト本人に近い現代人として出てきて、小道具の箱を開封したりして、パロンビさんは本物のハンディナイフで荷造り紐を切って手伝っているんですよね。その時、パロンビさんはヒロイン(ネッダ)を歌う柴田紗貴子さんと睦まじげで、二人は作品中同様の夫婦的な関係に見えるんですけど、パロンビさんが目を離した隙に柴田さんは浮気相手(シルヴィオ)を歌う高橋洋介さんと親密な様子で話し始めて、それに気づいたパロンビさんがいらだって二人を威嚇して、この場面は終わっているんです。その後、本編は、この歌手たちがダンサーたちとコラボして、『道化師』という作品自体を劇中劇として文楽スタイルでやってみせるわけです。でも歌手達は太夫として役を歌っているうちに、それが本人(に近いさきほどの誰か)の人間関係にオーバーラップしてしまうものだから、パロンビさん(に近い誰か)は、柴田さん(に近い誰か)への怒りや嫉妬が増幅していって、時々は太夫役から逸脱して柴田さんに対し暴力的に動いたりするんです。これは、他の歌手も同じくで、たとえば高橋さんは駆け落ちに誘うラブソングを歌っているうちに我慢できなくなり太夫としての立ち位置から外れて本当に柴田さんに触れたりするという。それで東京公演の最後の殺しの場面では、申し合わせではダンサーとの二人羽織で最後まで『道化師』のストーリーをやる予定だったのが、パロンビさんは「もう茶番はやめだ!」とダンサーをほっぽり出して、冒頭で使った本物のハンディナイフらしきものを振りかざして柴田さんを客席まで追いかけ、客席というリアルの世界で、彼女を殺しているんです。

竹中:ああでも、一つ目の『田舎騎士道』と違うのはわかりましたよ。『田舎騎士道』はダンサーが身体で歌手が声というシンプルな役割分担で最後まで進んでルールが保たれて終わった。でも『道化師』は、まず作品自体のルールがシンプルじゃないですよね、最初に口上の歌で「演じるとは…」みたいなことに言及してて…

上田:そう、作品がもとからメタ構造になっていますよね。あの口上のアリアで。

『道化師』より 清水勇磨(トニオ役)©2/FaithCompany

竹中:で、そのメタ構造でできているオペラ作品の外側に、さらにメタのキャスト個人の世界があって、フィクションだったものが彼らの日常にも入り込んできてしまうことによって、身体と声で分業というルールが崩される、キャスト達がルール放棄してしまう、っていうのはわかったし、私はそこが好きでした。

上田:そうか…すごい…じゃあ言語化されてなくても感じ取っていたんですね。冒頭の演出の意味って、「2回見て初めて構造のヤバさに気付きました」って言う人が多くて。

太田:舞台なり映画なりって、社会から物語をもらってきて、他人の物語を描く…つまり「表象する」という行為と切っても切り離せないと思うんですけど、それをする上での倫理的な部分で、そのメタ構造が効いてると思います。

路上生活者の存在

上田:倫理的というワードが出ましたが、太田さんはダンサーの川村美紀子さんがよかったっておっしゃってましたけど、路上生活者をモチーフとして扱うのはどう感じますか?

『田舎騎士道』より 川村美紀子(路上生活者役)©2/FaithCompany

太田:カーテンコールに路上生活者の川村さんたちは出なかったのがスタンスとして好感を持ちました。例えばもし実際に難病を抱えた人がいてその人が難病の役を演じたとして、演じ終わってカーテンコールに出てきたら、ドラマにその難病ということが利用されてしまったようで違和感があると思うんです。でも彼らはカーテンコールに出ず、路上生活者を表象するという責任を引き受けた上で演じているんだなって。作品世界と現実が地続きってことで、ロビーの出口に座りこんで投げ銭をもらったりしていましたが、もう一人の路上生活者役のやまださんはお客さんと会話したりされてたんですが、一方で川村さんは…

竹中:黙々と…路上生活者へのプロ意識がすごくて!やり切ってた。

上田:(笑)

竹中:演出家に指示されてやってることに見えず、彼女の選択であれを演じていて、最後まで路上生活者に徹するんでカーテンコール要りませんみたいな…

太田:あれは、ご本人たちの希望でカーテンコールなしに?

上田:そうですね。あ、どっちかというとそのお客さんと会話しちゃってたやまださんが言い出したことだったと思いますけど…

太田:いや、会話されてるのも面白かったんですよ!(笑)

上田:(笑)やまだしげきさんは、本当はすごい格好いいダンスも踊れるらしいんですけど。現在は岐阜で畑をやりつつ地元の人に教えたり作品作ったりされてるのかな?それで、今回、知り合いから面白いダンサーがいると教えられて彼に初めて電話してみた時、まだなんの役とか決まっていなかったんですが、「バリバリ格好良く踊るような役なら正直、僕じゃなくても若いのがいると思うんで…」と断られかけたんですが、じゃあ路上生活者は?と聞いたら、「それならやりたい」とのことで…。

竹中:ふーん!

上田:それで稽古しているうちに、やまださんが、「なんかこの役の感じだとカーテンコールとかする気になれないんですよ」ってある日相談してきて。「勝手にロビーに出ていって地面にうずくまって投げ銭の缶おいてそこで挨拶しますんで…川村さんもそれでいいかなぁ?」みたいな(笑)

竹中:あれ良かった。

『田舎騎士道』より やまだしげき(路上生活者役)©2/FaithCompany

劇場を取り戻せ

太田:劇場の持つ排他性から、皆に劇場を取り戻していくっていうことが、オペラを広げていくっていうことなんじゃないかな。

上田:なるほどねー…言われてみれば劇場の排他性ってありますね確かに…。

太田:上田さんの関西弁の字幕によっても、メタ的な構造によっても、いつもよりたくさんの人がオペラに入りやすくなってるし、描かれる人の多様性によっても、そのことが担保されたと思います。僕が昔、初めて舞台に出た時、それは都内の有名な劇場だったんですけど、上演中に統合失調症みたいなお客さんを客席誘導員がつまみ出しているのを見て、いたたまれない気持ちになったのがいまだに忘れられず。毎回、公演ごとに、何人かは劇場からつまみ出される人がいますよね。

竹中:静かに見られないから?

太田:それもだし、あとは追っかけの方がつまみ出されたり。もともとは芝居って、農村の歌舞伎みたいに誰でも集まって好き勝手いいながら見るものだったと思うんです。僕が生まれ育った長野の農村では、野外で歌舞伎をやって、見る側もおひねり飛ばしたり、上演中もおしゃべりしながら見るんです。その原体験があったんで、それが都市の劇場という世界になると見るお客さんまで選ばれるんだなって…その違和感に対して、上田さんのオペラは立ち向かってた感じ…。

竹中:私ももっと、変な服で行けば良かった…。

上田:え?

竹中:太田さんは前の日と同じ服で来てたんですよ、山に行った格好(笑)。私はオペラと思ってTPOを考えた服で行って…。ああいう劇場って係員の方も服装がかっちりしてるじゃないですか。だけどどんな人も来ていいよってことを伝えるには、太田さんみたいな格好でいくのはアクションかも(笑)どんな人でもどんな格好でも行っていいんだみたいな。

上田:そっか(笑)

太田:愛知でやるときはそれを崩していくっていうのは?

竹中:そうだね、みんなで崩していこう!東京はかっちりした格好の人がほとんどだったし!ドレスコードがあることによって、排除される人がいるし、たとえば今回ちょっとモチーフになってるような地域に住む人たちもこのオペラを見たら面白いって思うはずなのに、作品の内容じゃなく服装とか客席の雰囲気で、ある層を排除してある層が楽しむものみたいになってたら、作品内で上田さんがどんなに皆に届く努力をしていても、効果がないです。舞台でなく客席側で排他的な雰囲気が生じるのはもったいない…けど、自分もオペラといえばドレスコードという思い込みでそれに加担しちゃってた、という気付きがありました。

上田:ではこれをもし読まれた方で、賛同いただける方がいれば、普段着で愛知公演来ていただけたら!私も普段着でお待ちしております(笑)


公演情報

愛知公演【3月3日/3月5日】

東京公演は全公演終了いたしました。ご来場ありがとうございました。