With You 小林 俊介

【株式会社With You 代表取締役社長 】 暴走・喧嘩・刺青・ギャンブル・離婚・交…

With You 小林 俊介

【株式会社With You 代表取締役社長 】 暴走・喧嘩・刺青・ギャンブル・離婚・交通事故7回・借金・後遺症/人生のどん底から唯一無二の強烈な原体験とアイデンティティを元に起業/就労継続支援A型の全国優良事例と就労継続支援B型で工賃4万~6万円/福祉とビジネスの架け橋に

最近の記事

幼少期の原体験に接点を。 ~インテリア事業部のこと~

インテリア事業部【koyukino】 弊社はもともと、今から遡ること35年以上に渡って障害者雇用をやり続けている製造業の会社が母体である。 そこから分社化して独立したのが株式会社With Youだ。 就労支援の会社なので働くトレーニングとして製造業の仕事(作業)を提供しているわけだが、ここ数年は製造業以外にも挑戦している。 その中でもとりわけ際立っているのがインテリア事業部【koyukino】。 2019年末に輸入卸売業を行う株式会社koyukinoを設立した。 そこから商

    • 事業承継に際して思うこと

      先日のがっちりマンデーでnote特集を見て思い出し、数年ぶりにnoteにログインした。 せっかくなので久々に書いてみる。 《家業である製造業の会社》サラリーマンだった父の突然の脱サラ・起業 時は昭和63年。 私が3歳の頃、父は脱サラして会社を始めた。 田舎の地主家系だから実家の敷地は広く、十分なスペースがあったので、そこにプレハブ小屋を設置して始めたのが【YOU電機】である。 社名は父の名前『勇一』に由来する。 弱電関係の製造業における末端の手仕事、検査や組立て、加工や梱

      • その瞬間が堪らなくエモくて尊い。

        就労継続支援という福祉事業を通じて、どう『まちづくり』をしていくかを常に考えて事業を展開している。 全ての参考は自身の幼少期の原体験にある風景だ。 あの頃目にしていた風景、感じていた世界観が、今改めて創りたい社会。 事業を始めてから丸5年が過ぎ、そんな思いでやってきた結果が時々まちなかに見えるときがある。 それはもちろん、自分や自社の成果だけではなく、自然発生的なことも含めて起こっているのだが、私にとっては堪らなくエモく、尊い瞬間であり、『こーゆーのが良くてやってきた

        • その時、彼は号泣した。

          彼はウチで働き始めて5年になる。 市内の別のB型事業所から移ってきた。 前の事業所との引継ぎの際に両事業所のスタッフのみで会議を行ったのだが、あることを念押しされた。 『実は・・・彼、かなり手癖が悪いんです。』 「どういう意味ですか?」 「はっきりとした確証がないので我々も対処に困っていたのですが、何度か事務所の小銭入れに手をかけているところを目撃したり、気付いたらお釣り用の小銭がなくなっていたり…ほぼ彼で間違いないのですが、確証がない中で犯人扱いして訴えられたりし

        幼少期の原体験に接点を。 ~インテリア事業部のこと~

          福祉 と ビジネス の 架け橋になる

          VISION 『当たり前』を全ての人に。MISSION 福祉とビジネスの架け橋になる。PASSION 俺がやらなきゃ誰がやる!STANCE 福祉の『向こう側』へ。弊社ではこう掲げている。 【福祉とビジネスの架け橋になるということ】兄弟や家族に障害者が居たとして、それを誰に対してもサラッと伝えられますか? 例えば、付き合っている恋人に『弟が障害者なんだよね』みたいな。 綺麗ごと抜きにして、正直な話、そこまでサラッと言えない人もかなり多いと思います。 事実、この仕事を始め

          福祉 と ビジネス の 架け橋になる

          はたらく

          ずっと前から、何年も前から心のなかにあるモヤモヤ。というかイライラがある。 それについてFacebookでは何度も投稿してきたし、ニュースで上がる度にシェアして批判してきた。 でももう抗っても対抗できないくらい大きくなりすぎて。。。 向き合おうとすればするほど自分の無力さを痛感してしまうから最近では敢えて深く考えないようにしてきた。 でも10月から何度かに渡って毎日新聞が大々的に取り上げてくれて、それで改めて向き合おうと、世の中変えていこうと強く思った。 『障害者雇

          原体験いろいろ④

          『生きづらさ』は障害に限った話ではない というありきたりなセリフに深みを持たせてくれる原体験のはなし。 * * * 18で出来婚して19で父になった。 翌年には次女も産まれた。 離婚するまでの約7年間、あまり父親らしいことも出来なかったわけだが、その分、今は娘たちが生きる社会を地方から良くしていくべく奮闘している。 逆に自分自身は7年間で娘たちから多くのことを学んだ。 本当に感謝している。 そして、もうじき社会に出ていく彼女たちと笑って酒でも飲みながら昔話が出

          原体験いろいろ④

          原体験いろいろ③

          弊社の看板息子『タク』のこと。 2013年に特別支援学校からの新卒採用で雇用した知的障害を含む広汎性発達障害のタク。 2010年の自身7度目の交通事故後に『柏崎の土地で自分自身で切り拓いたネットワークの中で障害者雇用をする』という目標をたて、3年後に初めて雇えたのが彼だった。 在学中から幾度となく実習に来て、当時から「僕は卒業したらここで働きます」と言っていた。 彼は実習生の頃から2019年の今に至るまで、電車の時刻表を大切に持っている。 常に持ち歩くからボロボロの

          原体験いろいろ③

          原体験いろいろ②

          父の会社に入社したばかりの頃、小林家の一族以外は女性しかいない会社だった。 ただ一人、タケウチさんを除いては。 彼は片足がほぼ動かない。 松葉杖無しでは歩けない。 しかし、手元で操作出来る車に乗ってあちこち出掛けるアクティブなおっちゃん。 休憩はいつもダイドーのオリジナルコーヒー。 寒くてもアイスというこだわりがある。 彼の仕事は組立てライン後方での検査の仕事。 キズや汚れなどを見る外観検査ではなく、誤組や欠品、ボタン違いなどの検査をしていた。 それは製造業

          原体験いろいろ②

          原体験いろいろ

          社会人3年目くらいで父の会社に就職し、車のオーディオパネルの組立ラインを任された時のこと。 10名程度の組立ラインにパネルを流して、ボタンを圧入する人やビスを打つ人、シールを貼る人、検査をする人などが並び、手練の主婦たちが機械のような速さで自工程を終え、隣に流していく。 毎日何百台も生産し、某人気ハイブリットカーに関しては国内ほぼ100%を請け負っていた。 ラインの最後は知的障害の女性。あだなは『まっちゃん(まちこさん)』 彼女の仕事は検査まで終わったパネルを袋に入れ

          原体験いろいろ

          With You Anthem

          原体験物心ついた頃から遊び相手は同居の叔母だった。 叔母は『統合失調症』とかいう精神障害があるらしい。 道理で少し変わっていたわけだ。 もっとも、そんなことは気にしたことなかったし、その事自体知ったのも成人してからくらいだ。 スーパーブルーになって寝込んでいようが、ウルトラハイになって屋根に登ろうが、幻聴が聞こえたり幻覚が見えたりしても家族である事に変わりはない。 * * * 3歳の頃、父が脱サラして会社を始めた。 場所は自宅の敷地内にあるプレハブ小屋で、仕事は