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原体験いろいろ④

『生きづらさ』は障害に限った話ではない というありきたりなセリフに深みを持たせてくれる原体験のはなし。

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18で出来婚して19で父になった。

翌年には次女も産まれた。

離婚するまでの約7年間、あまり父親らしいことも出来なかったわけだが、その分、今は娘たちが生きる社会を地方から良くしていくべく奮闘している。

逆に自分自身は7年間で娘たちから多くのことを学んだ。

本当に感謝している。

そして、もうじき社会に出ていく彼女たちと笑って酒でも飲みながら昔話が出来る日を期待している。

そんな娘たちだが、二人の間にはちょっとした『違い』があった。

長女は3,500グラム超えの大きめで元気な赤ちゃん、次女は3,000グラムで、当時にしてはやや小さめ。

そしてなにより、次女には重度の食物アレルギーがあった。

乳児湿疹がなかなか消えず、心配になって医者に診てもらうと『母乳を通してアレルギー反応が出てますね』とのこと。

詳しく調べたら、タマゴや鶏肉、鮭やゴマなど多くの品目に引っかかった。

特にタマゴは数値が高く最重度。

ケーキもパンもアイスクリームもクッキーも、おおよそ子供が喜ぶものは食べられないことが判明した。

かろうじて小麦粉がセーフだったのが救い。

それでもやはり食事は大変で、間違ってちょこっとでも口にしてしまうと目や口元が腫れ上がり呼吸も苦しそうになってしまう。

良かれと思って色々と食べさせたがる長女もいるので余計に大変だった。

長女が3歳位になる頃には、妹のアレルギーを完全に理解して色んなものを我慢してくれていた。

娘たちと3人で出掛けたときなどは、ベビーカーに乗った次女が寝てしまったときだけ「今だけクッキー買って食べていい?」と聞いてくるわけで。

自宅では「のんちゃんが食べたがるから私も食べないよ」とタマゴを使ったお菓子は一切食べなかったのだ。

妹も「はんぶんこしよ」と自分が食べられる米菓やシャーベットを姉に差し出す。

彼女のやり取りは『愛』そのものだった。

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2010年に離婚してからは時々面会して彼女たちの成長に驚かされた。

次女のアレルギーも成長とともに免疫力が付き、少しずつ食べれるものが増えていった。

ある時アリオでの面会中。

父「お昼何食べたい?」

長女「ミスドがいい〜!」

父「え!?のんちゃんも食べれるものにしようよ」

次女「わたし少しずつ食べれるメニュー増えてきたの」

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アリオのフードコートでミスドのドーナツを分け合って食べてる姉妹の姿が現実とは思えず号泣した時のことは今でも良く覚えている。

『まさかこんな日が来るなんて』
『あの頃は考えもしなかった』

そう思った。

マジRespect!

『障害』以外にも様々な『生きづらさ』が存在する。

でもそれは『愛』とか、色んなものでカバーできる。

娘たちから教えてくれたこと。

長女からは『桃』、次女からは『音』それぞれから一文字ずつもらって胸に刻んだ。

まぁ敢えて刻まずとも忘れるわけはないのだが。

#原体験

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