その瞬間が堪らなくエモくて尊い。

就労継続支援という福祉事業を通じて、どう『まちづくり』をしていくかを常に考えて事業を展開している。

全ての参考は自身の幼少期の原体験にある風景だ。

あの頃目にしていた風景、感じていた世界観が、今改めて創りたい社会。

事業を始めてから丸5年が過ぎ、そんな思いでやってきた結果が時々まちなかに見えるときがある。

それはもちろん、自分や自社の成果だけではなく、自然発生的なことも含めて起こっているのだが、私にとっては堪らなくエモく、尊い瞬間であり、『こーゆーのが良くてやってきたんだよな~』と嬉しくなり、その日の晩酌の酒が割り増しで進む。

福祉バリアから外れた何気ない日常の一瞬

私にとってのその瞬間は、本人たちにとっては特別ではない。

家族との買い物や友人との食事、恋人とのデートや趣味の時間など、言わば『当たり前』の時間である。

もちろん、障害者には『当たり前』の時間が存在しないと言いたい訳ではない。

が、金銭的な事情や、福祉的に支援者が付いて回る場合の事情、そもそも『知らない』という事に起因する選択肢の少なさが、彼らの『当たり前』の機会を絞ってしまっていると私は考えている。

会社を立ち上げたとき、この問題を解決させたいと思った。

張り巡らせた戦略

自らが見たい風景を生み出すために様々な戦略を散りばめた。分かりやすいものを抜粋してお話しする。

【 法人格は株式会社 】

就労支援事業という福祉の仕事はイメージ的にNPOや社福法人、合同会社や社団法人のイメージが強い(6年くらい前だと特に・・・)が、地域の企業や地域社会を相手にして動くのであれば圧倒的に、株式会社が良いと思った。利用者や支援員ではなく社員、理事長ではなく社長として地域と関わりたかった。

【 スタッフは主婦中心で福祉未経験 】

画像1

製造業の末端業務(精密部品の検査や組立て、梱包など)といった業務内容的に、女性や知的障害のある人などがドンピシャにハマるのは分かっていたし、そういった仕事を障害者と行ううえで特別な資格なんて要らないと思っていたし、それを体現したかった。更に言うと、まちに出る機会が多い主婦にこそ障害者と関わる機会を持って欲しかった。

【 主婦が働きやすい職場づくり 】

画像2

土日祝日は完全休業、お盆や年末年始も10連休前後で年間休日は130日前後。残業は一切なく、急な休みも対応可能。旦那さんの扶養の範囲内で程よく稼げ、ライフステージが変わった際にはキャリアアップで正社員転用も可能。制服はオシャレで参観日や仕事終わりの買い物も気軽にそのまま。

【 自力通勤必須でドアtoドアの送迎は一切なし 】

地方特有の交通手段の少なささえも利用した。事業所としての送迎は無しで、親御さんによる送迎も禁止。基本的には徒歩や自転車、バスや電車での通勤が可能なことを利用の条件とした。

【 イベント開催や飲み会での地域資源の活用 】

画像3

画像4

地域と直接関われるという意味ではイベントは貴重な機会だが、福祉関係のイベントは死ぬほどダサく、金を貰っても参加したくないようなものが多いが、ウチのイベントは一味も二味も違う。

画像5

たくさんの人を呼んでの大きなイベントだけではなく、社員と二人でランチするようなミニイベントも実施する。『サシメシ』では上限2,000円でチェーン店ではない地域のお店で好きなものを食べながら昼休みを過ごす。

点が繋がり線となり、線が繋がり面となり、面が広まり事が起こる

こうして散りばめたいくつかの戦略が少しずつ少しずつ地域に浸透していき、多面的なネットのように地域を柔らかくナチュラルに包んでいく。

それはガチガチの『福祉』とは違い、『雰囲気』や『空気感』、もっと言えば『気付きすらしない』かもしれない。

私はこれを『福祉の"向こう側"』と呼んでいる。

RPGの防具に例えるなら『オリハルコンの鎧』か『天女の羽衣』の違いと言ったところだろうか。

福祉の"向こう側"で起きること

話はいよいよ終盤。イマジネーションを湧き立たせ、想像しながら読んで欲しい。

月末最終日、みんなが待ちわびた給料日。

14時半のチャイムで作業を終えた利用者(障害者スタッフ)が帰り始める。

自力通勤が必須なので、各々の手段で帰るわけだが田舎のバスは1日に数本。

バスまで2時間あるのでまちに出て時間を潰す。

「給料も出たし好きなアイドルのCDでも買って帰ろうかな」とか「たまには寿司でも買って帰ろうかな」とか「この前社長と食べに行ったお店にお父さんとお母さんを連れて行こうかな」と考える。

15時半になるとパート社員の主婦が帰り始める。

そのまま保育園に子供を迎えに行き、夕飯の買い出しもそのまま一直線だ。

子どもの手を引き食材を選んでいると、向こうから同じ制服の男性が歩いてきた。

お母さんの手を握った子供がその男性の存在に気付き、こう思う『何となく・・・よく分からないけど、なんか違う・・・けど、ママの会社の人なんだ!』と。

少し不思議な雰囲気の男性と親しげに話すママを見た子供は今まさに『福祉の"向こう側"』を体感したのだ。

また別のエピソード。

私がよく買い物に行くJAの直売所がある。

地元の野菜が売られていて地元の主婦も良く利用する。

そこでは一人の軽度知的障害がある女の子が働いている。

彼女は特別支援学校在学中に弊社にも実習に来ていた。

卒業後にその直売所で働き始めたのだ。

あるとき、その直売所内にめちゃくちゃオシャレなカフェがオープンした。

若い経営者の若いチームで市内の注目度も高い。

そこでは一人のUターン女子が働いている。

同じ建屋の中で働く立場の違う同年代の女子ふたり。

その二人どちらのことも知っているのだが、勝手なイメージで二人に接点はないと思い込んでいた。

が、ある日の家族との外食ディナーのとき。

その二人の女子会に遭遇したのだ。

「おぉ~、お疲れ~!!」なんて声を掛け、それ以上は特に話もしなかったが、背後で飛び交う会話にどうしても耳と心が奪われる。

「どんな話をしてるんだろう?」「恋の話かな?仕事の愚痴かな?」

詳しくは分からなかったし、当然知る権利もないから聞かないけど、月イチの女子会だということだけ教えてもらった。

が、そんな女子会を背後に感じながらワインを飲み、なぜだか流れた涙も一緒に五臓六腑に流し込んだ事実は伝えていない。

福祉』は『福祉職』がやる『仕事』で、『福祉の"向こう側"』で起こることは『誰しも』に起こりえる『体験』

専門職が豊富な知識や積んできた経験が活きるシーンもあるし、それを必要とする人も多くいる。

が、『障害者』呼ばれる全ての人たちにそれが必要なわけではない。

福祉の"向こう側"』で起こる小さな『体験』の積み重ねが、まちの雰囲気や空気感を変えていく。

年に一度、夏の恒例番組で感動的に取り上げられるのだけが障害者じゃない。

純粋でピュアで、触れ合ったら心が洗われるような存在が障害者というわけがない。

良いことも悪いこともひっくるめてひとりの人間で、地域の住人だ。

当たり前の日常生活を地域で送っていく。

時には『福祉』から外れて自分の時間を過ごす。

オリハルコンの鎧』から『天女の羽衣』に着替えてごらん。

肩肘はラクになって、胃袋の動きも活発になるでしょ。

お金使いたくなるでしょ。

地域経済はそうやって回るし、使った分もきっとどこかで回収できる。

会社としてこんな取り組みに力を入れても誰も評価してくれないし、売上げが上がるわけでもないし、おかげで借入総額は1.5億に到達するし、心身ともに疲れること多いし。。。

けど、

俺はそんなエモい瞬間をまちのなかで見ると、放った3Pシュートのボールがゴールネットをくぐる音で何度でも生き返る彼のように、また頑張れる。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?