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【ショートショート】小人と少年

 ある村に一人の少年が住んでいた。村の真ん中には大きな森があって、湖もあった。少年はしばしば森へ行った。彼は鳥の声を聞くのが好きだった。彼らの声を聞いていると嫌なことも忘れるのだった。時々自分もその鳴き声を真似しようとしたが、うまくいかなかった。

 ある日彼は、深い木立の中に鳥の巣を見つけた。巣には卵が一つ残されていた。少年は毎日やって来ては雛が孵るのを待っていた。しかし、母鳥はいつまで経っても姿を見せなかった。少年はとうとう卵を家に持ち帰る決心をした。数日後、暖炉の側で卵はゆっくりと色が変わり始めた。罅(ひび)ができ、裂け目が広がると、少年は目を輝かせた。しかし罅を広げたのは嘴ではなく、二本の手だった。腕、胴体、足が見え、やがて中から小人が現れた。生まれたばかりなのに彼は自由に話すことができ、翼もないくせに高く飛べるのだった。

 少年は小人の言葉が初めは囀りにしか聞こえなかったが、小人の身振り手振りで言葉が解るようになった。小人は少年と同じくらいの年だったから、二人はすぐに友達になった。彼らは毎日揃って森に出かけた。追いかけっこをすれば小人はすばしこかった。少年に捕まりそうになると、すいっとツバメのように浮かんで少年の頭上の木に止まった。時々、小人は少年の背後に回り込んで背中を擽っては逃げた、二人は息を切らし、笑い、そして燥ぎ疲れると、少年は草の上に、小人は太い木の枝の上に寝転ぶのだった。二人の間を風が横切った。

「君は僕が僕のお母さんが鳥だと知っているのを知っているかい?」
 小人は少年に尋ねた。
「知らない」
「僕は知っているのさ。僕は殻の中からいつも空を眺めていたんだ。生まれる前から見ていれば、きっと空を飛べるようになるからね。お母さんは僕に手本を見せてくれた」
 少年は不思議そうな顔をした。
「空なら僕だって毎日眺めているけど、一向に飛べるようにはならないね」「そりゃ、君はもう人間として生まれちまった後だからさ。僕には、まだ決めなきゃならないことが一つ有る。それは極めて重大な問題」
 小人は枝の上で起き上がり、腰掛けると足をぶらぶらさせて言った。
「何だい、それは?」
 少年は仰向いたまま尋ねた。
「ああ、僕は生まれてくる時、人間として生まれるか、それとも鳥として生まれるか選択を迫られていた。それはとても怖い選択なのだ。なぜなら、どちらを選ぶかで僕の未来は大きく変わってしまう。最も大きな違いは、僕がどちらの立場で生きた方がより長く生きられるかだ。残念なことに僕はお母さんが人間によって殺されたことを知ってしまった。お母さんは人間に撃たれた」
 小人は思い出したように涙ぐんだ。少年は驚いた。
「君はそんなことまで見ていたの?」
 それから少年も目の周りが熱くなったので、しばらくものが言えなかった。ようやく、
「どうして人間は君のお母さんを殺してしまったのだろう? 僕は悲しい」「僕は何日も思い悩んでいた。僕が結論を出さない限り、殻は割れないのだ。そんな時、君が現れた」
 少年はびっくりした。「そうか! 君は生まれる前から僕を知っていたんだね!」
 小人は頷いた。
「君が僕を暖炉の側に運んだ時、実は怖かった」
「どうして?」
「暖炉の火で鍋のものを煮ることができる……」
 少年は血相を変えると立ち上がった。
「おい! それは聞き捨てならないね! 君は僕のことを全く分かっちゃいない、それは僕が君を食べると言いたいのと同じだ!」
 小人はすぐに謝った。
「ごめんよ、でも考えてもみてくれ、僕はお母さんが湖に落ちてゆく姿を見たのだ、それなのに僕ができることといったら、せいぜい、殻の中から殻を叩くくらいだった。それから僕は人間達を恨んだ。そんな僕が人間を信用できると思うかい?」
 今度は少年が俯いていた。彼は頬を紅潮させたまま、何か言おうとし、しかし思いつかず、小人の言葉を待った。
 「でも、君は僕に敵意を持っていないとすぐに分かった。君が、僕が生まれるのを待ち望んでいるのを、殻越しに観察することができた。そして僕はとうとう決心した!」
 風は立ち止まるのに木の葉を使った。
「僕は賭けることにした、君に」
 少年は目を丸くした。
「僕に?」
「そう、君に! 僕は人間として生まれることにした」
「僕に何を賭けるのだい?」
「君は人間だ。人間は僕の仲間を殺す。でも僕は君が好きだ。僕は君と友達になる。そして二人はいつまでも友達なのだ。それには、君が裏切らないことが条件になる。心の問題」
「何だって? 僕が君を裏切る訳ないだろう!」
 少年は気色ばんだ。
「君のほうこそ人間なのに飛んでいるじゃないか! まるで人間じゃないみたいだよ」
 小人は笑い出した。
「確かに。説明不足。僕はまだ見習い期間なのさ」
「見習いって?」
「つまり、声変わりするまでは人間でもあり、鳥でもある。つまり、両方の性質を持っている」

 数ヶ月後、少年は相変わらず少年のままで、小人も小人のままだった。しかし、小人の声は低くなった。時折、声が掠れた。少年は、小人の声をもう、小鳥の囀りのように聞くことができなくなった。
「とうとう、運命の時が来たよ」
 小人は少年の頭上から地上に降り立つと厳粛な面持ちで言った。少年は頷いた。
「君は人間として生きるのだね」
 それから、ふと思いつくと、
「君が飛べなくなる前に僕の願いを叶えてくれないかな。僕は一度飛んでみたかったんだ。君が僕を背負えたら、ほんのわずかな時間でも一緒に飛べるかもしれない」小人はにっこりした。
「お安い御用だね」
 小人はどこからか一枚の羽を取り出すとそれで少年の裸の背中を撫でた。擽ったさを我慢するうちに、少年は身体が急に軽くなるのを感じた。

 湖はだんだん縮んでゆくように見え、やがて小さな青い点になった。少年は空気が薄いせいだろう、頭ががんがんしたが我慢した。実際、我慢するだけのことはあって、自分が想像していた以上に森は美しかった。近づいても遠ざかっても。少年は初めて森の樹々が空の色を映し出す鏡だと知った。全ての葉が月の光を受けると空色に変わるのだ、それは一体となって輝いた。少年は小人の背中で囁いた。
「もし僕が君なら、僕は鳥として生きるだろうな」

 湖の畔がちかちか光ったように見えた瞬間、少年も小人も胸と腹に激しい痛みを感じた。渦に吸い込まれるように回りながら、二人は落ちていった。
森に少年は横たわっていた。血が流れ落ちた。少年の側に一羽の美しい白い鳥が同じように横たわっていた。少年も鳥もまもなく尽きる自分の時間を幾万倍にも感じてその時間を生きようと目を開き続けていた。少年は悲しかった。自分の気まぐれが二人の運命を変えてしまった。しかし、もっと悲しかったのは、小人が最後の時間を使って鳥になったことだった。人間は信用してもらえなかった! 少年は空を見上げた。空に少年がさっき見下ろしたはずの森が映っていた。森は相変わらず美しかった。

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