Windsorknot

芸術全般、特に音楽が好き  思いついたこと、感じたことを自由に書き連ねます。

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最近の記事

lainから得る安心と実存と生存

(若干ネタバレ注意) serial experiments lain。今や10万円を超えるプレミアがついたレトロゲーム。 私はそういった一昔前の、知る人ぞ知る穴場のような、隠れ家のようなゲームが好きで、よくガラージュや中天などのゲーム実況をよく見ていた。そんな中、lainはああまでも有名になっているくせに、私は手をつけてこなかった、というか知らなかったのだ。最近知った。 私は、お恥ずかしながら、lainを遊ぶためのソフトもハードも所持しておらず、シナリオ動画を拝見させていただ

    • 大野智が描いた絵に今日はじめて出会って、泣いた

      仕事から帰宅した母が着ているTシャツが素敵だった。思わず「かわいい!」と声をあげた。 母は、「いいでしょ。これね、嵐の大野くんが描いたんだよ。」と答えた。 私は、24時間テレビのチャリティーTシャツのイラストで、草間彌生さんと大野智さんがコラボしたのは知っていた。それも、当時から私は大の嵐ファンで、嵐が番組に出ると聞けば、すぐに食い入るように、毎日のようにテレビを眺めていたのを覚えている。そして、太陽のように力強く描かれたプリントTシャツを、今でも宝物のように思っている。

      • ドリームハッカーexe.自分

        私は7年前からずっと同じような悪夢を見続けている。もう見すぎて明晰夢にできる。医者にそう言うとはて...?と首を傾げるが、本当にそうなのだ。 基本的に夢とは自分自身の中で考えていることが表立って出てくると思っている。あの氷河を思い出すと、海に沈んでいる部分が大半で、そうやって水面下で思っていることを認識するまではただの怖い夢でしかない。 もし、悪夢が自分の中でネガティヴな印象や経験を体現しているなら、夢を見ている間に幸せを感じれば、ハッピーエンドに変えられる、そう思って、も

        • How about uのやさしさ

          全てが影響しうる時代になってしまった。 それは未来に向かって世界が進化という方向で進んでいるってことでいいと思うけれど、生活が良くなれば良くなったで不都合が出てくる。 不満は豊かさの象徴だと思う。そして人はその不都合を払拭するために、毎日現れる不都合に対して対処し続ける。これも多分進化。 ただ、言葉や感情に、世間の関心が向いているのか、そういったエンタメが波及したからか、いささか逆鱗に触れることが増えたようにも思う。でも、そこまでセンシティブに扱いたい気持ちもわかるし、私

        lainから得る安心と実存と生存

          ひとりごと・gone,lonly,apatite

          今まで鳴っていた音が聞こえなくなると不安に感じることがある。親がつけっぱなしで出て行ったテレビ。いつもは煩わしい筈のものが、自らの手で消したはずが、なぜか恋しく寂しくなる。 自分の髪の、抜け毛を汚いと思うこと、それは自分の「外」に出ていったもの、もう帰ってこない完全な「gone」 それを人は不快に思う。 それらは自分にとって、勝手に自分のものであると想像して、自分の中から出ていくと勝手にネガティヴな感情が沸き起こる。これを依存や中毒に似たものを感じる。それは私のものだと、

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          呪詛が勝つか滾りが勝るか

          今日、とんでもないお願いをプロの方々にお願いした。自分の言葉のマスターベーションに過ぎない中で、特に私が私に動かされた数少ない文章を、叱咤の意味で読んでいただいた。 初めはどうしようかと思った、なぜなら当初は1人に全文を読んでいただこうと思っていた。 しかし、人を動かすに値するものは決まって力強いパワーがある、その力関係は肯定的、非肯定的問わずに。どちらに傾くかは自分次第、どちらに傾けるのかは経験次第。 この文章を読んでいただくのは私にとっての賭けだった。もちろん、プロの

          呪詛が勝つか滾りが勝るか

          世界の定説と唯一の対等関係

          人を殺してはいけない。 これは世界の定説としてあること。人間社会に生きるならば守るべきルール、または皆が深層下で、生を受けて気付いたら感じていること。 人を傷つけてはいけない。 これも世界の定説としてあること。人間社会に生きるならば守るべきルール、しかしそれは時に法律を打ち砕く。 法律じゃ管理できない傷はどこで癒せばいいんだろうか。どこで防げばいいんだろうか。 処世術として、生きていたらなんとなーく回避している可能性がある。 しかし全てを受け止めてしまう私にとっては非常に

          世界の定説と唯一の対等関係

          深夜のひとりごと① 知識のタイガ、知らないを知ること

          人生ってまじ一生種まきだと思っててさ、色々な種をいっぱい点々バラバラに植えるんよ、その内容はなんでも良くて、音楽とかゲームとかスポーツとか、超ざっくりとしたものでいいワケ。その内容はなんでもいいの。 で、私たちって生きてると色んなこと学ぶじゃん?そうするとその種から芽が出て、それぞれ一本の木になろうとすると思うんだけど、そのジャンルについてたくさん学ぶと、その木の成長過程でいっぱい枝分かれしていくの。 例えばスポーツだったら、まず野球とかサッカーとかフットボールとかの太い枝が

          深夜のひとりごと① 知識のタイガ、知らないを知ること

          無痛の暴力は止まらない

          本当は黒いランドセルがよかった。 何で女の子は赤いランドセルで、男の子が黒いランドセルを背負うのか理解できなかった。いまだに理解できないが、幼くありながらも早々に、男女で何か嫌な壁で区切られていると感じた。 男の子が、胸を曝け出しながらプールで泳ぐのは、かわいそうだと思っていた。 布の量で水着の価格が変わるかも、と思っていたのと、みんないっしょじゃないの?という疑問を抱えていた。 女の子が胸を隠すのは何となくわかっていたし、隠すものだということも察しがついていた。でも、男の

          無痛の暴力は止まらない

          西陽と陽炎は後悔を連れてくる

          その言葉を自らで嘘か本当かも定められないのに、本当に、なんて前置きを軽々しく使っていいとは思わないが こればかりはわたしの中で抱えたいものが大きすぎた 不登校1ヶ月前、わたしには悩んでいることが多かった。 その中でも一つ、いつも一緒にいる友人から笑った顔を向けられることが減った。具体的には、その目には憤りと悲しさと悩みと羨望が見えていたように思う。私や周囲への。 それも悩みだった。私は友人が笑いかけなくなったことに対して、私自身に問題があると捉えた。必死に状況を楽しくしよう

          西陽と陽炎は後悔を連れてくる

          大人の異口同音と子供の意思決定

          時間が解決してくれるということ、それはもしかすると何らかの死によるものかもしれないという恐怖がある。 それは肉体かもしれない。精神かもしれない。 解決、というのは必ずしもその状態が良い方向に傾くとは限らない。少なくとも最善ではない。 その中で、そうなったことを腑に落とすのは自分であるし、そうだとしてもそれは後付けにしかすぎず、そう思うまでの悲しみや苦しみは誰も拭ってやくれない。 自らが腑に落とすことができた、ということが解決なのか? そうなる場合、悩みや問題の根本的解決を望む

          大人の異口同音と子供の意思決定

          ぼくらは毎秒屠殺する ex)自分

          今日の自分と明日の自分が同じだなんてどこで証明するのさ、ましてや1秒後には新たな情報という名の武器を構えて過去の自分を葬る癖に。 そうやって葬って、葬った先で来た道を戻って墓掘り返して拾って帰って、使うだけ使ってまたどこかに遺棄してまたいつか戻って拾いにくる、そういうことを繰り返していることにいつ気づいたんだろうか。 アニメーションのセル画がたくさんあるように、或いはコマ撮りのほうがもっとあるかもしれない中で、それすら気付かない繊細な自らの一部があるということに。 バウムク

          ぼくらは毎秒屠殺する ex)自分

          感情の養殖場、それは惨い市場となり得る可能性

          ものを産み出すことって、放流させることと似ていて、それを手放したわけではないのに、世に出した瞬間それは私だけのものじゃなくなる。そしてそれは空気に触れて、浮いているチリやゴミをくっつけながら、形を変えて歩き続ける。それが怖くて、表にすることに抵抗感もある。そう考えたものは、私だけのものとして捉えて、表用、に、また何か作って終えばいいことなんだよね、多分。 実は、noteを数年前から書いてみたいと思っていた。だが、私は私のアイデアを、そう簡単に表に出したくなくて、ずっと渋って

          感情の養殖場、それは惨い市場となり得る可能性

          肉体の生か、精神の死か

          一昨日あたりから、新しい薬を飲んでいる。 夜は眠れるようになり、鬱屈とした気持ちは晴れたため、この薬を非常に気に入ってはいるが、我が身から剥がれた垢すら羨ましいほど、自らの大切なものまで失った気持ちで一杯である。 抗精神薬は、考えすぎてしまう頭をとてもクリーンにしてくれるが、クリーンになりすぎて、時たま自らすら失う感覚に覆われている。 ホワイトスペース、とは良く言ったものだ。 自らを失ってまで、肉体が生きることを望んでいることは生きていると言えるのだろうか? それとも、心身と

          肉体の生か、精神の死か

          仮面を付けなかった日

          メイクアップによるモードの変更は常々やってきた。今日もそうするつもりだった。だが、今日の私はそれを許さなかった。それを嫌だと言った。今までは身につけていないことを嫌だと...いや、身につけていたいから身につけていないことを嫌だというポジティブな感情がそこにあったからだ。 久々の真っ新を感じて、不安や恐怖、無関心、自分の奥底にある開かずの引き出し“だった”ものが少しずつ、絡まった毛糸がほぐれるように、少しずつひらいた気がして。 そうして綴る文章は、すごく愛おしくて、楽しくて、少

          仮面を付けなかった日

          Born and Burn

          一つ怖いことを言ってもいい? 今まで思い付いた、ハンドルネームをかつて私はこよなく愛してきた 言葉に執着するなら尚更だ だけど毎回、こうじゃない、これは私じゃないと、そう思って改名を何度も何度も繰り返している、今でもそう 「こうじゃない」 これは一種の解離の現れ?だとしたら、私は何遍分裂して、何人が体内に宿っているの?もし仮に“そう”だとしたら、何十人と産み出しては殺していることになる とてもおそろしい