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無痛の暴力は止まらない

本当は黒いランドセルがよかった。
何で女の子は赤いランドセルで、男の子が黒いランドセルを背負うのか理解できなかった。いまだに理解できないが、幼くありながらも早々に、男女で何か嫌な壁で区切られていると感じた。

男の子が、胸を曝け出しながらプールで泳ぐのは、かわいそうだと思っていた。
布の量で水着の価格が変わるかも、と思っていたのと、みんないっしょじゃないの?という疑問を抱えていた。
女の子が胸を隠すのは何となくわかっていたし、隠すものだということも察しがついていた。でも、男の子だって隠していいし、恥ずかしいって思ってもいいと思っていた。恥ずかしがるのが異端のように、扱っているほうが異端だと思っていた。

「誰にでも分け隔てなく接する姿は素晴らしいです。」
決まって書かれた通知表の言葉。当たり前だろ、と怒りたくなった。
誰にでもって、誰かと誰かで区別することがあるの?って、何も考えずに放った大人の言葉で知らなくてもよかったことを知ってしまった。
私はかつて大人に汚された子供だった。
両親は教育関係の仕事をしていた。そのせいか、私が通う学校には両親のことを知る教師が多数存在していた。
廊下ですれ違うたびに、「お母さん、元気?」とか、「お父さんに伝えておいて」と、伝言を頼まれたり、親のごまをするような言葉をかけられたり、テストの点数が不出来だと、「お母さんに、先生が怒られちゃうよ」と言われ、

ここで、私と、私以外の生徒で、区別がかけられているような気がした。
ああ、ここでも区別されるんだ、と、
大人に対しての失望とくだらなさが加速していく。

大半の子供は、子供時代に過ごす時間の半分は家で、もう半分は学校であると考えている。
実際に私もそのような子供だった。
ただ、私の場合は、家も学校も、ずっと教員に監視されている感覚が私に付き纏っていた。
ずっと学校に囚われている感覚がそこにあった。

家では何やらよくわからない、親特製の学習表が貼られ、毎日全てのチェックボックスを埋めないと、明日へ進めないようなデイリータスクを抱えて、学校へ行けば教員にたかられ、児童とも接しなくてはならず、いつしか児童の模範にならなくてはいけないという感覚が芽生え、私の自由は簡単に失われていった。

そうやって、”内側“も“外側”もない状態で過ごしていると、いつしか“夢”と“現実”の区別もつかなくなった。初めは明晰夢を覚えて毎晩夢で遊ぶことに耽っていたが、だんだんと夢に現実味が増してきてからは、寝ても覚めても学校にいることが多くなった。
学校業務をひたすら遂行していればいいものを、大人の汚い考えを浴びせられ、親からは罵声が飛び、周りの児童からは虐げられたり、セクハラをされたり。夢なのか現実なのかわからない日には、勝手に他人のことを嫌いになることも少なくなかった。

私の書く文章は、連想ゲームに近いように思う。ランドセルから始まって、プール水着、学校、夢と現実。そうして考えるものは、区別。今までひた隠しにしてきた私の“内側”が、口うるさく泣いている。ランドセルを見るだけで泣いている。

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