「口を出さない」というのはけっこう難しい。
我が家の年長娘のランドセルをそろそろ決めなくてはならない。
やっと年長になったのにもう一年生の話か・・・と現実味がないぶんあまり気が乗らないのだけど、近年のランドセル戦争とやらはなかなか手厳しいので流れに乗っておかなければならない。
そして今の小学生のランドセルは色とりどりだ。だからこそ迷う。わたしだけが。
母のわたしがダメとは言いたくない。
娘は「うすいラベンダー色かみずいろがイイ」という。まぁ・・・ダメじゃない。いや・・・わたしがダメと言ってはならないのだろう。
でも心配なのだ。
多くの女子にはピンクブームのあとに寒色パステルカラーブームというのがやってくるらしい。
たぶん、娘はいまその真っ只中にいる。6年間、それを使うと思うとどうなのだろう・・・どうなのよ・・・。
しかし無難に赤にしておけば?なんて無難の意味もわからないだろうし、いま赤が無難かどうかと言われたらそういう時代でもない。
なによりいろいろ説得して変えさせたところでわたしがホッとするだけなのだ。娘のためでもなんでもない。わたし好みに塗り替えたところでなんの意味もないし、じぶんの経験上あまりそいうことはしたくない。
何かを決めるときに浮かぶのは母の顔
というのも子供にとって母親は絶対的な存在。「心配だ」から出てくる母親の助言が窮屈でさらにはそれが呪縛と感じることもある。わたしがそうだったから。
わたしの母は明るくて元気でポジティブ。だけどすごくまじめで厳しくて。
「 NO」と言われることがすごく多くて、何かを決めるときにもまず浮かぶのは母の顔。わたしがどうしたいかではなく、どういう答えをだせば母が笑顔で「YES」と言ってくれるか、というのが無意識に植えついていたと思う。
別に母に気に入られる答えじゃなくて、わたしがイイと思う答えを出せばいい。
それに気がついたのは大学生になって親元を離れたときで、答えを出す為に母に頼りすぎていたわたしほんとうのじぶんがいまいちわからなくなっていて。
だからいま、わたしの母が反面教師となっている部分がある。
でも、じぶんが母になってみてめちゃくちゃに共感できる部分もたくさんあるのだ。
子供に決めさせる勇気
たかがランドセル・・・なことかもしれないけれど、こうやって何かに迷っているときや決めるときにふと思い出すのはあの頃のわたしのこと。
でも、よし!子供に決めさせよう!と思ってもやっぱり子供に答えを出させる、口を出しすぎないというのはなかなか勇気のいることで。
これからもいろんな選択の連続で成長をしていく子供たち。わたしはどこまで黙っていられるかしら?
そうそう。ランドセルってそんなお安い買い物じゃないからね・・・と、スポンサーであるわたしの親に色の話をしてみたら、
「娘ちゃんがイイと思った色にするのが一番よ!」
ですって。えーーーーー!それってーーーーー!笑。
さて、来年の春には何色のランドセルを背負っているのかなぁ。おしまい。