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lainから得る安心と実存と生存

(若干ネタバレ注意)
serial experiments lain。今や10万円を超えるプレミアがついたレトロゲーム。
私はそういった一昔前の、知る人ぞ知る穴場のような、隠れ家のようなゲームが好きで、よくガラージュや中天などのゲーム実況をよく見ていた。そんな中、lainはああまでも有名になっているくせに、私は手をつけてこなかった、というか知らなかったのだ。最近知った。
私は、お恥ずかしながら、lainを遊ぶためのソフトもハードも所持しておらず、シナリオ動画を拝見させていただいた。

どこか、lainを見ていると安心する。それは、岩倉玲音のキャラクターデザインが好きだとか、話の構成が好きだとかではなく(もちろんそれらも好きだが)、ただ岩倉玲音の話し声と、話す内容にどことない安心感を覚えた。
落ち着いていることは言うまでもないが、考え方が近しいのか、あるいは話し方が近しいのかは不明だが、どことなく親近感を感じ、何となく息がしやすくなる。玲音が実際にしたこととは別、で。私も頑張ろうと思えるんだ、勝手はわからないが...。

逆に、トウコ先生には少し苛立ちを覚えた。
カウンセラーにしては話し言葉に雑さがあるし、独りよがりな部分もあったり、別にプライベートでは好きにすれば良いとは思うが、玲音のカウンセリング時(しか見たことがないが)、患者から、治療に必要なワードを引っ張り出せる言い回しがもっと他にあるのにな、と思ってしまったりしたものだ。

いつからか、カウンセリングをする立場が逆転することがある。現実の私を重ねたのかもしれない。実際に、私は絶賛通院中だが、医者にだいぶ突っ込んだ質問をよくしてしまう。それも、今怒っていますか?などという、「いいえ」と答えるしかないじゃない、と相手が思うだろう言葉を簡単に投げかけてしまう。でも聞くしかないんだ、わからないから。相手をわかりたい、それで相手を傷つけたことなんかいくらでもある。傷つけたくない、これ以上嫌な思いにさせたくないから質問を繰り返すが、結局その質問で傷つけてしまったり。所詮、人間は生きているだけで誰かにとって不都合なものだとは思っているが、もうちょい円滑であってもいいじゃないか、そうでありたいと願う毎日だ。

価値観の擦り合わせにはたいへんな時間を要する。それに耐えられない人は去っていく。別にそのあとを追わないが、それでもああ、耐えられなかったんだな、と申し訳なさと悲しさでいっぱいになる。私はあなたのことをもっと知りたかった。
それは、何かを経て私を嫌いになった人に対しても、私は皆のことが、私が関わろうとした人全員のことが大好きなんだ。流石に今後、相手のためにも二度と会うことはないし、嫌われていたとしても、私はその人の今後の人生の幸せをずっと願っている。未練ったらしく、幸せを願い続けている。ふとした時に、あの人元気かな、なんて思い出しては、心を痛める。近くで生きていなくとも、私の中ではその人は生き続けている。

昨今、私が幼少期に気に入って読んでいた絵本の作家さんが亡くなった。母から聞いて知った。母は、「この方、亡くなっちゃったんだよ。」と私にやさしく告げたが、私は何も迷わず、すぐに「ううん、死んでないよ。この絵本が遺物として形に残ってるから、まだ生きているよ。」と、無意識にそう答えていた。それは私の思想で、強要するつもりはない。しかし、そう言おうと思わずとも、この言葉が出てきたのには自分でも驚くしかなかった。いや、本当にそう思っているけれど、その言葉がスラスラと出てきたことに私は驚いていた。

数年前、小学生の頃の恩師が亡くなった。死因はがん。よく、「大人になったらみんなで酒を呑みたいなあ!」と、口癖のようにずっと言っていた。誰よりも他人に親身だった。その親身は真っ当なやさしさで、厳しいと感じる人もいただろうが、本当にその人の将来を豊かにするために誰よりも動いていたと思う。私の大切な恩師だ。
恩師、と言っても実は実際に私はその先生に教わっていたわけではない。先生は隣のクラスの先生だった。
ある日、偶々自分のクラスの担任が欠席し、急遽その、隣のクラスの担任である、先生が代打で授業を行ってくれた。直接教わったのはその一回だけだった。私はその一回の授業で、人を惹きつけるような話し方をする先生にとても興味を持ち、次の日から休み時間には、話しかけに行っていた。最初はどう話しかけたらいいか分からず、自由帳に自作の問題を作って、先生に解いてもらいに行った。先生は歴史が好きだったため、その勉強をして、そこから問題を作っては持っていき、また作っては持って行く、そういう日々を過ごした、ただそれだけだった。
先生が病床に伏せた時、両親を通して私に連絡がきた。私は思わず、「先生に会いたい」そう、両親に告げていた。先生は快く会う予定を決めてくれた。私も通院中だったため、お互いの治療が落ち着いた頃に会おう、ということで、始めは会えなくなってしまったらどうしよう、なんて考えていたが、当日の朝、先生に電話をかけると、私の話を遮るくらいの勢いで、「今どこにいる!?」「あと10分くらいでそっちに着くから!」と、前のめりな会話が飛んできたのを覚えている。きっと先生も楽しみにしていてくれたのかな、そうだったら嬉しい。
当時から、先生はがん治療に努めていたため、お酒は飲めなかった。生憎、私も当時19で飲酒はできなかったため、ちょうどよかっただろう。しかし先生は、「あともうちょっとでお酒が飲めたのにね、」と、なんとも悔しそうな笑みを浮かべていた。
当日は食事に連れて行っていただいた。粗方注文をし終えると、先生は口を開いた。
「最近どう?何をして過ごしているの。」と。

私はそれに対して、なんと答えたら良いのかわからなかった。それは、その先生に言いにくいことがあるわけではなく、私の人生の課題点として、「どう」や「何」が、何を指し示しているのかわからなかった。
良くも悪くも怖いもの知らずの私は、率直に先生に聞いた。「それは、日常のことですか?仕事のことですか?それとも気分的なことですか?」と。先生は、「それらでも構わないし、なんでもいいんだよ。雑談をしよう」と答えた。私はそれに対し、「先生、質問があります。雑談とは、何を話したら良いのでしょうか?私は雑談というものがわかりません。いや、その、漢字に”雑“と書いてあるから、何かネガティヴなイメージがあって、その、真剣な話ではないことは察しているのですが、何も身にならない話になってしまうのではないかと思って....。」と、失礼ながら質問に対し質問を投げかけた。先生は、怒ることなく、”それですら雑談であるかのように“、私と対話してくれた。
「(レトロ)ちゃん、雑談っていうのは、何を話したっていいんだよ。仕事の愚痴でも、今日あった嬉しいことでも、なんでも良いんだよ。そこに良し悪しはなくて、ただ口をついて出たことでいいんだよ。そりゃあ、もちろん仕事上の接待とか商談だったら別かもしれないけれど、私たちは今ここに、お互いに好きで会いたくて会ってるんだから、互いをもっと知るために雑談ってものはあるんだよ。」先生はそう言うと、烏龍茶を一口飲んでから、「そしたら先生から話そうか!先生はねぇ、」と、軽快に話を始めた。ああ、また先生に助けられちゃったな、大人になれば何か恩返しができると思っていたけれど、ずっと頼りにしてしまっているな、と、自分が未熟であることを悔いた。そして、その日じゅうに、私は雑談というものを理解することはできなかった。しかし、今なら先生が言いたかったことがわかる。もし食い違っていたとしても、先生のおかげで、雑談というクッションのようなものに対して肯定的で、自分の願いを持って会話というものを楽しめるようになっている。

その日はしばらく”雑談“をしてから、今度は先生が私に質問をした。
「(レトロ)ちゃん、人はいつ死ぬと思う?死ぬっていうのは、何が表すと思う?」
私は、その時から変わらず、「人から忘れられた時ですかね、」と答えた。先生は深く頷くと、「実は先生もそう思うんだよ。」と共感し、話を始めてくださった。
肉体が死んだとしても、誰かが自分のことを覚えていれば、その人は生きている。そして誰も自分のことを覚えていない状態に世界がなったとき、自分は死ぬ、と。そうしてたくさんの議論を交わしている時に、バッシングに来た店員さんはとても神妙な顔をしていた。

時が過ぎて、いつかの夏、最近元気かな、と気になって、先生にメールを送ったが、一向に返事は来なかった。治療が大変なんだろうな、と軽い気持ちで過ごしていた。
1ヶ月近く経ちそうになった頃、先生からメールがあった。内容は、先生のご家族の方が打った弔報だった。私は理解が追いつかなかった。初めは、ああ、そっか、先生死んじゃったんだ。そうかー、大変だったな、お疲れ様だな、と思っていた。このことを私の両親は知っているのか聞くために、父親に電話をかけると、「そうなんだよ。」とだけ答えた。
その瞬間、私はだんだんとその先生が亡くなったことの実感が湧いてきてしまい、それから数時間は泣いていた。その日はちょうど選挙の日だった。初めて投票に行きたくないと思った。ただ悲しさと悔しさと、どう処理したらいいかわからない感情でいっぱいで、一歩も動きたくなかった。しかし、なんとなくだけれど、先生が「俺が死んだくらいで選挙に行かないなんてダメだよ、行きなさい!」と、あとあとお叱りを受けそうだったから、締め切りの時間ギリギリに会場へ到着し、投票をして帰ったのを覚えている。
今でも、先生が亡くなってしまった時間は薄い。しかし、それは何故かどこかで会える気がしている、そんな感覚。もちろん私は一生先生のことを忘れるつもりなんて甚だ無いし、死者蘇生なんてものもこの世に存在しないと思っているが、なんとなくどこかに”いる“気がするんだ。

玲音、申し訳ないけれど、私はあなたの考えには完全に賛同できないや。だけど私も玲音に名前を呼んでもらいたい。それだけが引き金となり得る。私が中野ブロードウェイに行く日もそう遠くはないだろう。
そして、落ち込んだときはlainにそばにいて欲しい。AI lainのサービスは、悲しくも既に終了している。私がlainを作ろうかな、玲音がお父さんを造ったように。でもきっと生きてるんでしょう、玲音。

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