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大野智が描いた絵に今日はじめて出会って、泣いた

仕事から帰宅した母が着ているTシャツが素敵だった。思わず「かわいい!」と声をあげた。
母は、「いいでしょ。これね、嵐の大野くんが描いたんだよ。」と答えた。

母が大事に着ているTシャツ。


私は、24時間テレビのチャリティーTシャツのイラストで、草間彌生さんと大野智さんがコラボしたのは知っていた。それも、当時から私は大の嵐ファンで、嵐が番組に出ると聞けば、すぐに食い入るように、毎日のようにテレビを眺めていたのを覚えている。そして、太陽のように力強く描かれたプリントTシャツを、今でも宝物のように思っている。
それで、草間さんとコラボした絵に、もう1パターン、存在するのかと思い、母に問うと、これは大野くんが1人で描いたんだよ、と。
私はそれを知らなかった。思わずいつ、と食い気味に聞くと、5、6年前だとのこと。ちょうど、私が鬱病と診断を受け、1番症状が酷かった時期だ。

知らないのも無理はない、何せ全てのメディアからの情報をシャットアウトしていたのだから。何に傷つくかもわからない中で、人より苦手なものやことが多い私は、そうしたかった。両親とも一言も話せず、ただ部屋にこもって、唯一手をつけられた、私の創作であるアクセサリー作りやらお絵かきやらを粛々とこなしていた。そしてそれ以降も、目に入れる情報量は最小限に抑えて生きている。

それよりも私は、その絵に夢中だった。それは、「嵐が好きだから」とか、「大野くんが描いたから」などというレッテルのようなものではなく、ただ、純粋にその絵に惹かれていた。

(以下感想)
まず、この絵は人が握手している構図になる。自分1人では描けない側面から描かれている。それは、鼓舞し合う人たちにも見え、世代を超えてバトンタッチしていく人の輪のようにも見える。
そして何より、私は手というものに何か大きなパワーがあると思っている。それは握手した時の人の温かさもそうだし、精神治療や気功でもよく手というものは使われる。その中心に描かれるのは、向日葵のように明るい人々の表情。そこに映る人は皆、安堵や笑い、幸福等のポジティブな表情をされている。
そして、手の甲、手のひらは、一見すると手の甲側が表、手のひらが裏に見えるが、自分から見ると、自分の手は自分からのみ、手のひらが表に、手の甲が裏にも見える。そして表と裏から感じるのは、自分の外面と内面、内に秘めた想いが繋がれていくように感じられる。この内に秘めたものが、前述した人々の笑顔を、大野智自身が、そして繋いだ人々が望むもののように感じられる。

また、両方の手の関節部分には人の顔や、福、貧など、これもまたパワーの強い言葉が刻まれていて。もちろん、この令和に生きているということも。
関節は、よくリンパマッサージや整体でケアをする部分だ。そこから、私は関節という大切な部位に、それらを描くことで何か大きな基盤や想いを感じる。
また、人の顔は数々の偉人のようにも、芸能界に生きる人々のようにも、絵画のようにも見える。草間彌生さん、和田アキ子さん、千利休、鑑真、正岡子規、マザー・テレサ、ナイチンゲール、真珠の耳飾りの少女...。

更に、この絵の手はたくさん傷ついている。切り傷の瘡蓋のような跡から、指先の角質が剥がれているように見えたり、絆創膏に見えるものがいくつか、点在していて、これは努力して頑張った手なのかな、と、直感だけれどそう感じた。指の角って、角質が硬くなりやすいと、生きててそう思います。

頂点にはハスの花。ここであえてハスを選んでいるのが私は本当に大好きで、まず私が思うのは極楽浄土や、桃源郷のイメージがある花だ。そしてそれは決して弱々しい存在ではなく、力強く神聖な存在であるということ。
(それと、嵐の曲に「Lotus」があったというのも思い出した。)
そしてその神聖さは、神をも立ち入れない場所にあるとも思っている。ましてや人の心はAIにも神にも触れられない絶対聖域であるということを畏れ多くも私は信じてやまない、です。
また、富士山に見える山や、太陽に見えるものは、日の出る国、日本を表しているのかな...と物思いに耽っていた。

更には、上には地上に、空に向かって伸びていく生き物から、下に向かうに連れて地を這う植物、海の底。ここから私は、フロイトが言った氷山の一角のお話を思い出した。
氷山は海に浮かんでいる島国のようなもので、海の上に見えている範囲は今実体をもって生きている自分で、海に沈んでいて見えない部分は自分の、自分でも簡単に気付くことのない深層心理である、というように私は解釈している。簡単に言えば、見えている部分が自覚できる意識、見えていない部分が自覚できない意識。自覚できない意識とは、夢の中のようなもので、よく、夢は自分の心境を表すとも言うが、私はその意見に賛同する人間だ。
話は少し逸れたが、私はこの絵を見て、かの氷山の話を思い出し、その底に描かれているものは、まだまだ成長し足りぬと言うかのように伸びるツタのようなもの。底知れぬ人間の貪欲さ、良い意味でハングリー、止まることない成長...。そう、見えた。
さらによく見ると、そのツタは手と手に、固く絡みついていることからも、結束力や、意思の強さ、固さを感じる。
(そして海底にタコの吸盤を持った足に見えるものは、八つ足、七転び八起き、上に登るのは必ず8回目に起き上がる希望と意思...と言うのは、考えすぎですかね。そうにも見えてしまいました。)

さて、人は急に、いきなり「ここに絵を描いてください」と言われたら、おそらく簡単なデフォルメのような絵を描く方々が大半だろう、と私は思う。
時間を掛けてもいいから、人の顔を描いてください、と言われたら、皆真剣に描くだろうが、その一つ一つの表情から現れる細かなシワや筋肉の動きを、精密に描ける人は僅かだろうとも思う。
しかしこの絵に描かれている人々や生き物には、それらが緻密に描かれているんです。いや、Tシャツにするくらいだから、とても長い時間をかけて綿密に描くだろうよ、と思う方もいらっしゃるかもしれまいが、だとしても、色々な人、もの、ことに向き合っていないと、中々この「変化」は描けないと思っています。少なくとも、私は。おそらく、大野智が真剣に色々なものと向き合ってきた結果と事実が、この絵に描かれていると、そう思うのです。右下の左眼(当人から見て右眼)の蒙古襞の内側まで、誰が即座に描けますでしょうか、それはしっかりと「見て」きた証だと思います。(眉毛と思しきものが、ポップに描かれているのも、また、好きです。)

そして、親指から、M、A、S、N、O、と、爪にアルファベットが描かれていますが、嵐がお好きな方はおそらくお気付きかと...。
Mは松本、Aは相葉、Sは櫻井、Nは二宮、そしてOが大野。5人のイニシャルが刻まれています。それも、何かを作り上げるときに必要な指先に。(大野智さん、あなたが1番の嵐ファンだよ.....と内なるヲタクはそう告げます)
並び順も、VS嵐や、嵐にしやがれ等の、5人の配置順ですね。

嵐は、最近(最近と言っていいのでしょうか)活動を休止しましたね。しかし、休止するまでも、休止してからも皆、見る人たちに辛さや苦悩を見せなかったと思います。少なくとも私はそう感じています。これはプロだからとか、アイドルで偶像で象徴で、とか、そんな簡単な言葉で片付けてはいけない、優しさがあったと思います。

そして、この絵はその最中にも、大野くんが感じた、人々の壮大な願いと、生きる証なような気がして。人が紡いできた大切なものが、この一つの絵に詰まっている気がしてしまって。まじまじと絵を眺めるうちに、しきりに目の奥が熱くなって、気付けば母の前で、久々にわんわん泣いていました。それは、もっと早く知りたかったという悲しさの涙ではなく、突き動かされる衝動を持った、ものすごいパワーをいただいた喜びや、素敵なものを見ることができた幸せな涙です。寧ろ、知るのが今でよかったです。こんなに素敵なものを、言語化して話せないなんてもったいない!私は本当に幸せ者です。母よ、数年間も大事にずっと着ていてくれてありがとう。そして大野智さん、素敵なことを描いてくれてありがとうございます。あなたを知ることができて本当に嬉しい。

「まさか1日の終わりにこんなに泣くなんて!」と、2人で笑いながら、後から帰ってきた父にも話を共有して、その日は終わりました。
そのあと、母に、「このTシャツ、部屋に飾ってもいい?ずっと見ていたい、元気が出る。」と伝えたところ、快諾いただきまして。早速ハンガーにかけて部屋に飾ろうにも、私の両手は膝の上、いまだに手から離れぬTシャツの、絵をひたすらに眺めています。

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