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世界の定説と唯一の対等関係

人を殺してはいけない。
これは世界の定説としてあること。人間社会に生きるならば守るべきルール、または皆が深層下で、生を受けて気付いたら感じていること。

人を傷つけてはいけない。
これも世界の定説としてあること。人間社会に生きるならば守るべきルール、しかしそれは時に法律を打ち砕く。
法律じゃ管理できない傷はどこで癒せばいいんだろうか。どこで防げばいいんだろうか。

処世術として、生きていたらなんとなーく回避している可能性がある。
しかし全てを受け止めてしまう私にとっては非常に落ち着かないクッションと化していた。

良くも悪くも、食べることは大事だが、全てを全力で喰らっていては体力がもたない。食事に喰らい返されていては仕方がない。
情報の取捨選択、それが私に求められる行動。
別に拾ってもいいけどゴミをゴミだと判別してゴミ箱に捨てられるくらいの心意気は持っていたい。だけど、なるべく全部持っていきたい。

私は物持ちがよく、そして物をよく買う。自室は私の理想と願いとおまじないが歓迎している。その情報量たるや、クラウドもびっくりの。
それは能力としてもそうで、人よりたくさんのことに気付いて、人よりもたくさんの何かで傷つく。勝手に気付いて勝手に傷つく。これ以上のわがままを私はいまだ見たことがない。
それよりも、なんでもできる子供だった。
簡単に言って仕舞えば傲慢に聞こえるが、とても物覚えがよく、人様がどうでもいいと目を向けても覚えないような蒲公英の咲く位置だって、私には大切なんだって。そうなんだよ。

捨てよう、それを捨てられるくらい他で満たしたい、満たそう。
全て連れて行こうとすると、かつて不出来に悩んだ数学の教科書とは一生睨めっこしながら棺桶に入るだろうし、かつての栄誉、それも他人からの薄っぺらな賞賛を、他人にとっての栄誉を一斉に浴びた英文だって、今となっては毒でしかない。

いつも、旅行に行く時のスーツケースはパンパンだし、ちょっと出かける時もリュックサックにトートバッグ、ポーチの中身も全て詰められるだけ詰めている。それは即時で必要になる可能性があるものだから仕方ない。

でも思い出の取捨選択はできるでしょ?

私は賢いから、色んなことを連想してたくさんの引き出しを持っているね。
でも、引き出しを開けて、中身を出して開けっぱなしにして、思考回路はぐっちゃぐちゃ、それに加えて「お土産」が増えるから、尚更片付く気配がないんだ。

かつて飛ばした紙飛行機を思い出して、誰が人を殺すだなんて想像する?
ただ賽の目を投げただけなのに、それだけで嫌な気持ちになっているなんて、とてもとても非効率。

人間の死と時間だけは平等にやってくるから、それらにだけは贅沢でいたい。

私は自分のために動くのがとても苦手だ。
言い方を変えれば、他人や外側で起きた事象を理由にしないと、動けない。今まで何度も、子供の頃の私を慰めては闘ってきたね、その相手はもう既に居ないくせに。

これからは時間に縋ろう、人間は縋るのがとっても上手。じゃなかったらローザリーやら神棚やらを持たないわけがない。(軽蔑や侮辱ではないです、ただそこにある真実として言っただけ)
私だって人間なのだから、他人ができていることは私にできないことはない。
縋ろう、時間に縋ろう。そしてその時間をいかに濃いものにできるかは死ぬまで挑戦しよう。それが原因で起こる過労死なら真っ当な喜びを得られるかも、心が荒んでいないことを前提条件としてね。

いつか、癇癪を起こした母親に、ベネッセの付録で大好きだった、手回し発電機も、捨てられたおもちゃも、全部、思い出として巡回させるのではなくて、昇華しよう、何らかの形にして。その多くは学びとして。フロイトもびっくりしちゃうくらいの精神を築いてみるのも面白そうだね。呪いの浄化って言ったら厨二病くさいかな、でも何かに縋ってるから呪いって生まれるんだよ、多分。
全てに平等である時間に感謝して好かれるように、今日は家に帰ったら早く寝てちょっとでも得積んどこ。

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