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呪詛が勝つか滾りが勝るか

今日、とんでもないお願いをプロの方々にお願いした。自分の言葉のマスターベーションに過ぎない中で、特に私が私に動かされた数少ない文章を、叱咤の意味で読んでいただいた。

初めはどうしようかと思った、なぜなら当初は1人に全文を読んでいただこうと思っていた。
しかし、人を動かすに値するものは決まって力強いパワーがある、その力関係は肯定的、非肯定的問わずに。どちらに傾くかは自分次第、どちらに傾けるのかは経験次第。

この文章を読んでいただくのは私にとっての賭けだった。もちろん、プロの方に音読していただけるだけで勝ち確だが、生憎私には酷い執着心が存在するため、その文を書いたのは自分のくせに、それを読む方のことを嫌いになりたくなかった。

だから、分散させた。

人間社会って不思議なもんで、群れている方が優れていると脳が直感しやすい。それを逆手に取ろうと思った。だから6人に読んでいただいた(本当にありがとうございます)

誰のことも嫌いになりたくないし、むしろ私は人のことが大好きだ。良くも悪くも、人間全てのことを愛せる自信がある。例え相手が私のことを嫌いになろうが、おそらく私はずっとそいつの健康と幸せを願って眠る。だからこそ簡単に喜んで簡単に傷付く。勝手に。だからこそ他人を巻き込む際は慎重にやらないといけなかった。今でもそう。

呪いは願いがないと生まれないし、崇拝は縋ることから生まれて時代の変遷で勝手に廃れて場合によっては嫌われる。
生きるか死ぬか、生かすか殺すか、それすらも自分次第のダイスロールは、出来うる限りクリティカルで居たい。そのために私は明日も健康に専念して生きる。少なくとも、今日音読されたプロの役者さん方が協力してくれたのだから、やってやらなきゃ示しがつかない。もちろんその場所を劇団に貸してくれたホールも、照明をやる人も作った人も、そもそも電車を走らせてくれた車掌を始めとする方々も。
レッスンの先生ももちろん、親をはじめとして私はたくさんの協力者に囲まれて生きている。私は私が想像する以上に多くの協力者に恵まれて生きている。その恩返しがしたい。
と言っても、何かこれといったものをやる必要はなく、その結果はさまざまで、それがおそらく人生ってやつだとも思っている。

人間は一冊の本と私は捉えている。死ぬまでは完結しない、見えない轍を遺して人は歩く。
もし自分を小噺にするなら...株価にして暴落して、少し上がってきたかな、くらいの、なんとまあ今終わってしまったらとんでもない駄作になること間違いなし!天晴れなほどの駄作!
人間失格以上にどうしようもない失格を味わいたくないから、とりあえず今日のところは太宰にケンカだけ売っといて、薬を飲んでとっとと寝ろ、明日の天気はお前次第で晴れる、未来を変えろ、意図的に。


本日素晴らしい舞台を見せていただいた全てのキャストさん・スタッフさん、モノムジカに最大限の感謝を!
「幻想譚歌 月の博物館」明日最終、新中野まで。

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