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西陽と陽炎は後悔を連れてくる

その言葉を自らで嘘か本当かも定められないのに、本当に、なんて前置きを軽々しく使っていいとは思わないが こればかりはわたしの中で抱えたいものが大きすぎた

不登校1ヶ月前、わたしには悩んでいることが多かった。
その中でも一つ、いつも一緒にいる友人から笑った顔を向けられることが減った。具体的には、その目には憤りと悲しさと悩みと羨望が見えていたように思う。私や周囲への。
それも悩みだった。私は友人が笑いかけなくなったことに対して、私自身に問題があると捉えた。必死に状況を楽しくしようにも、何も改善されなかったと思う。そもそも、私が悩みを抱える要因はそれだけではなかったが、それは今でもまだ気がかりに思ってしまう。

本当に、助けてほしかったのは彼女だったのではないか?
思い返せば、すごく元気に、器用に立ち回っていることが多いように感じられた。私の経験不足もあり、その時は彼女が彼女らしく在ると思っていた。
本当のことなんか今じゃ知る機会もない。学生時代の連絡先は全て切り離した。だけど、それだけは今でも頭の傍らで、私に心配と不安を呼びかける。

初めてそう感じたのは小学生の頃、ホームステイに行った私たちは、帰りの飛行機の中で夜景を観ていた。私は少し身を乗り出しすぎたのか、いきなり彼女に肩を座席に押し返された。ごめんね、と謝るが、その時は何も言ってくれなかった。別に許してほしいから謝ったわけではないが、何かに取り憑かれるように窓を眺める彼女の目に、すこし不安を覚えた。だから、返答がないことも当時は異常に感じていた。帰国後に、英語の先生に相談した。すると、「いつも元気なわけじゃないからね、気にしすぎないで」と軽くあしらわれた。

高校の頃、私は保健室に通うことが日に日に増えた。いつか、保健室の先生に「あの子が私に笑顔を向けてくれないんだ」と伝えた。伝え方が悪かったかもしれない。それでも、当時の私には直接的な表現しか持ち合わせがなかった。保健室の先生は、昔、英語の先生が私にかけた言葉と似たようなことを笑顔で話した。

わたしたちは、似た感性を持っていた気がする。くだらないものに対して非常に怒りを覚え、興味があるものへは飽くまで追求する、アイスクリームを食べるスピードも、キスの感覚に興味を持つ頃も。
私には数少ない、心許せる友人だった。
そう思う気持ちが強くなるたびに、私の苦しみを彼女も同様に強く感じていたのではないかと想像してしまう。
本当は笑いたくない場所で笑うことを強いられていたんじゃないの?

このことをnoteで消費したいわけじゃない。誰かに背中を押してほしいから綴ったわけじゃない。ただ、もっといろんな方角から物事を、もっと早くから見ることを覚えたかったって、滅多に後悔しない私は、今でも後悔を続けている。

追伸
不幸中の幸いかな、適した画像をたまたま持っていた。

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