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How about uのやさしさ

全てが影響しうる時代になってしまった。
それは未来に向かって世界が進化という方向で進んでいるってことでいいと思うけれど、生活が良くなれば良くなったで不都合が出てくる。

不満は豊かさの象徴だと思う。そして人はその不都合を払拭するために、毎日現れる不都合に対して対処し続ける。これも多分進化。

ただ、言葉や感情に、世間の関心が向いているのか、そういったエンタメが波及したからか、いささか逆鱗に触れることが増えたようにも思う。でも、そこまでセンシティブに扱いたい気持ちもわかるし、私自身言葉遊びは好きだしずっと大切にしたい。しかし、話し手が伝えたいことが受け手にうまいこと伝わらない/歪曲して伝わってしまう場合が、ある。近年のインターネットを見ていると余計にそう感じる。

これには書き手の書き方が悪いとか、受け手の受け取り方が悪いとかではなく、そもそも人は皆生きてきた人生の、その変遷はそれぞれであり全く同じなどない。だから、これは良い悪いではなくて、合わないパズルのピースを無理やりはめようとしてパズルが壊れた、それに似ている気もする。

価値観、考えもそうで、良い悪いはなく、社会で言われるような悪い行動、それに至ってしまうまでの過程が大事で、そこをどうにかなんとか解さないと解決には繋がらないのだ。
しかし内側なぞ当人にしかわからない、ましてや当人が不調と思っていなかったら尚更だ。それを引き出せるのは、誰だろう。家族でも教育課程でもいい、誰か教育を果たしてくれ、だがその人の教えが歪んでいたら元も子もない。



ここまで、「だが」「だけど」「でも」などの、ネガティヴに使われやすいクッション言葉を並べてきた。
これから言いたいことの結論としては、濁点がつく言葉はパワーが強いということ。良くも悪くも。良い方向なら良い方に、悪い方向なら悪い方にうまいこと繋げてくれる。受け手がとらえたパワーに左右される、そんな言葉を私たちは何も気にせずに扱っていたり、する。気がするのだ。

「あなたはどう思う?」と、人に意見を聞きたい時がある。しかし、私はその聞き方が気に食わなくて、実際のところ、それ以外の聞き方が思いつかなくて、親しい人には「How about you?」と聞くことが多い。

カタカナに無理やり起こすと
「ハウ アバウト ユー」

これが、なぜだか私には柔らかく聞こえて、それについてひとしきり考えた。昨日。
結果、「バ」の前に、母音である「ア」が入っているから、文字のパワーが相殺されていると思った。
母音は耳に残りやすい。ラップやら歌を聴いていて心地がいいのはそのせいかもしれない。印象付けるのがなんとも上手。
ハ行は包み込むようなやさしさがあるし、ウは母音、タ行は軽快、ヤ行は変化を求めるイメージがあって、アとバは相殺。これによって、何のバイアスもかかっていないニュートラルな言葉が出来上がったように感じる。

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